星屑スキャットの(左から)メイリー・ムー、ギャランティーク和恵、ミッツ・マングローブ(バガンザ・インターナショナルズ提供) 画像を見る

 

色鮮やかなワンピースを着こなし、満面の笑みを浮かべる那覇市出身のメイリー・ムー。ドラァグクイーンとして東京・新宿2丁目を中心に活動しながら、ミッツ・マングローブ、ギャランティーク和恵と一緒に音楽ユニット「星屑(ほしくず)スキャット」を結成し、洗練された歌声とハモりが、聴く人の心を引きつける。「これからは沖縄にもたくさん訪れて、3人で歌いに行きたいわ」と沖縄にも思いを寄せている。

 

力をくれた1冊の雑誌

「小学生の頃は男の子、女の子と分け隔てなく遊んでいた」と振り返る。周囲が異性を意識し始めても「なぜクラスメイトが恋愛めいたことをするのか分からなかった。今までのようにみんな仲良しではいけないのかと疑問に思った」

 

中学は県内で有名な進学校に入学する。思春期に入り、男性が好きだということも意識したが、表には出さないようにした。「国内外のゲイ・コミュニティーの情報を積極的に伝えてくれたゲイ雑誌。当時中学生だった自分がゲイであることを肯定的に受け入れることができた。いつか仕事をして、ご飯が食べられるくらいに稼いだら、ゲイとして生きようと決意した」

 

ただ両親には伝えることができなかった。「分かっていたと思うが、男が好きだと伝えたら、必ず反対される。言わなかった」

 

「沖縄を出たい」一心で

歌を始めたのは中学時代、カラオケに熱中したのがきっかけ。「あまのじゃくだったので、みんなと同じ歌は選びたくなかった。そんな中、歌謡曲に出会った」

 

大学は東京大学へと進む。「沖縄から出たいと思っていたから、東大に入れば誰にも文句を言われないと思った。東京でゲイとして生きていきたい。その気持ちが強かった」と振り返る。入学後すぐにLGBT関連の店が多い新宿2丁目などに足を運び、大学ではゲイのサークルもつくった。

 

大学4年目の時、ドラァグクイーンを見て衝撃を受ける。「あまりの美しさに感動して、自分もなりたいと思った。すぐに100円ショップに行って、化粧道具を買って、1週間もたたないうちに女装するようになった(笑)」

 

ミッツや和恵と出会ったのも、女装したりドラァグクイーンのイベントに参加したりするようになってからだ。2005年、ミッツと和恵が歌うドラァグクイーンのイベント「星屑(ほしくず)スキャット」を始めると、メイリーも参加。それ以来3人でユニットとして活動するようになった。

 

母に初めて伝えたこと

12年には星屑スキャットのシングル「マグネット・ジョーに気をつけろ」でメジャーデビューを果たし、以後シングル8枚とアルバム1枚を発売。メイリー自身もソロとしても活動している。「CDを出すなんて予想もしなかった。ゲイとして生きたかったから、歌が好きだったからだが、ただただ今の人生の歩みにびっくりしている」

 

今年1月には、東京芸術劇場で行われたミュージカル「ナターシャ・ピエール・アンド・ザ・グレート・コメット・オブ・1812」にバラガ役として出演した。沖縄から母親を呼び、自分の晴れ舞台を見せたという。「昨年の旧盆に初めて自分の仕事について母に話した。これまでドラァグクイーンや『星屑スキャット』として活動していることを伝えてこなかった。母にとっては全くの初耳だったようでとても驚いていた」と笑顔で語る。「母に伝えたことで肩の荷が下りた気分だった」

 

沖縄への思いも一層深まる。「上京して20年以上、生まれ島沖縄への思いは年々強くなっている。母から応援してもらえるようになった今、また新たな気持ちで沖縄のステージに立ってみたい」とほほ笑みながら沖縄でのライブにも意欲を示している。 (金城実倫)

 

※「星屑スキャット」のツアー「あゝ喉仏」が4月14日の大阪を皮切りに、東京、愛知、宮城、福岡、静岡、千葉の7カ所で開かれる。沖縄でのライブは未定。問い合わせ、詳細は公式ホームページhttp://www.hoshikuzu-scat.com/から。

 

メイリー・ムー 1978年9月22日生まれ。那覇市出身。現在新宿2丁目のワインバーのおかみを務めながら、テレビの音楽やクイズ番組、ラジオなどに多数出演している。

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