首里城の大龍柱、本来の姿は? 正殿階段の手すりと直接接続か 85~87年出土品を分析
首里城正面の階段に関し、台石ではなく大龍柱と欄干がつながっていたと推測する西村貞雄氏が描いたイメージ図。県立埋蔵文化財センターが所蔵する湾曲した羽目石と親柱は大龍柱と欄干がつながった下部の羽目石の現物と西村氏は指摘する

 

1985年から87年にかけて行われた首里城正殿跡の発掘調査で、正殿の正面階段の欄干(らんかん)(手すり)が直接、大龍柱につながっていた可能性を示す遺物が見つかっていたことが22日までに分かった。昨年10月末に焼失した正殿の大龍柱は台石の上に乗っており、欄干とは直接つながっていない。専門家は「本来の大龍柱は台石に乗っておらず、欄干と直接つながっていた可能性を示す。江戸時代にあった正殿の、遺物の可能性もある」と推測した。

 

昨年10月31日に焼失した首里城正殿の再建に向け準備が進む中、大龍柱の向きなど在り方の再考を求める声も上がっており、注目を集めそうだ。

 

見つかっていたのは、欄干に取り付ける板の部分に当たる「羽目石」と、羽目石に接続する「親柱」。羽目石は湾曲し、ほかの羽目石に比べて長さが少し短いのが特徴だ。首里城正殿跡の発掘調査で出土し、西原町の県立埋蔵文化財センターが所蔵している。同センターによると、羽目石や親柱の年代などを特定することは難しいという。

 

彫刻が専門で1992年の首里城再建にも関わった西村貞雄琉球大学名誉教授が今年3月、同センターが所蔵する出土品を複数回にわたって調査した際、湾曲した羽目石に注目した。 (宮城久緒)

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