「ロンドン五輪も行きましたし、今回の日本選手権も見に行きました。母親としては、子どもの出る大会を見に行くのが楽しいんですよ」と話すのは、日本選手権男子水泳で史上初の5冠に輝いた萩野公介選手(18)の母・貴子さん(49)だ。

 

ロンドン五輪では銅メダルを獲得するなど、今、水泳界で最も注目を集めている“怪物”萩野。彼はいったいどのようにして育っただろうか。栃木県小山市に住む貴子さんが語ってくれた。「公介は、私が30歳すぎてできた子どもでした。ふと30歳が目前になって『子どもつくるなら今』と思ったところで妊娠したんです。妊娠中はあまり太るのが嫌で、マタニティ・スイミングスクールに。公介が生まれて生後5カ月になると、ベビー・スイミングにも行くことになりました。こうして公介のスイミングが始まったんです」

 

さらに貴子さんは水泳以外にも、さまざまな習いごとに公介選手を連れて行った。3歳のころには、ピアノに英会話に学習塾も掛け持ちさせていたという。貴子さんはそのすべてに同行。そこには、ある思いがあった。「掃除に、洗濯に、子育て。そのすべてを手抜きしないでやろうと思ったら、私には1人っ子で精一杯でした。だからあえて1人っ子として育てよう。その代わり、なるべく多くのチャンスを与えようと決意したんです」

 

そのなかで頭角を表してきたのが水泳だった。小学校のころには“天才スイマー”といわれるまでに成長。それに伴い、貴子さんの生活もハードになっていったという。「中高の6年間、毎朝4時半に起きて、朝練に出かける公介へお弁当を持たせていました。夕方5時半になると塾まで公介を迎えに行き、そのままスイミングスクールに車で送っていく。そこで2時間の練習を見学して、終わると家に連れ帰ります。そこから主人を駅まで迎えに行き、夜12時過ぎにようやく就寝という生活でした」

 

さらに貴子さんの奮闘は続く。水泳選手として体が大きくなかった公介選手をサポートすべく、食生活を見直すことにしたのだ。「中学までは好きなものを好きなだけという食生活でしたが、あの子は牛乳だけが嫌いだったんです。だから高校に入ると管理栄養士さんに毎日メールで献立を送り、不足分の栄養素を補うようにしました。他人に見せるんですから、冷凍食品は使えません。それがプレッシャーでしたね(笑)」

 

当時、公介選手はハードな練習の中でも身体を維持するため、1日6度もの食事を摂るようになった。貴子さんが2年前の冬から始めた毎日のメニューノートは、現在4冊目に突入しているという。彼女の支えなしに、怪物は育たなかったといえるだろう。

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