「産んでくれてありがとう」浅野拓磨を強くした9人家族の絆…パートで家計支えた母へ送っていた感謝のメール
画像を見る (写真:アフロ)

 

■年間100万円かかると知り、サッカーを諦めようと……

 

「毎朝6~7合、夕食は7合のゴハンを炊いていたから、10キロのお米が1週間たたずになくなって。食卓はボールを奪い合うグラウンドと一緒でした。から揚げは1.5キロの鶏ももを揚げても競うようにして平らげていたし、ギョーザを120個焼いても、私が食べようと思ったらキレイに消えてました」(都姉子さん)

 

都姉子さんたちの支えもあり、高校では強豪校に入学した浅野選手。しかし遠征試合が多く、部費や交通費などが年間100万円ほどかかることに。そこで“9人家族の事情”を知っていた浅野選手はサッカーを一時諦めようと決めていたという。

 

しかし中学時代のサッカー部顧問・内田洋一先生が説得。都姉子さんら家族の理解もあり、サッカーを続けることに。そして飛躍的な成長を遂げて’13年、高校卒業と同時にJリーグのサンフレッチェ広島に入団した。

 

当時、本誌の取材に「拓はプロ入りしてから毎月10万円を家に入れてくれるようになりました。弟の大学進学費用も助けてくれて。家の軽自動車がボロボロだからと、ミニバンのステップワゴンまで買ってくれました」と明かした都姉子さん。さらに、こう続けている。

 

「なによりもうれしかったのは、拓が20歳になった誕生日に『ただいま二十歳になりました。産んでくれてありがとうございます』とメールを送ってきてくれたこと。ずっと放ったらかしだったのですが、どうしてこんなやさしい子に育ってくれたのか……」

 

プロ入りした当時、会見で「きょうだいが多くて苦しい中で育ててくれた両親に恩返ししたい」と語っていた浅野選手。今回の逆転ゴールも、都姉子さんと智之さんにとって最高の恩返しとなっただろう。

出典元:

WEB女性自身

【関連画像】

関連カテゴリー: