シリーズ人間の最新ニュース
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特殊メーク第一人者・江川悦子「おくりびと」の遺体も“作った”
2020/11/09 11:00オフィスに入った瞬間、足が止まった。出迎えてくれたのはゾンビに妖怪、宇宙人。部屋の一角は死体まで横たわっている。ここは、東京・成城の東宝スタジオのなかにある「メイクアップディメンションズ」。日本を代表する特殊メークのプロ集団だ。壁一面が、渡辺謙、役所広司ら俳優陣に加えて、元SMAPの5人や和田アキ子など、芸能界の錚々たる顔ぶれのライフマスクで埋めつくされている。このマスクは、変身するときの基礎とな -
義足のモデル・海音語る覚悟「見てくれる人に勇気を与えたい」
2020/11/01 11:00暗闇のステージが、音楽のスタートとともに、青と白の照明に彩られた。舞台袖ではモデルの海音(19)が、右足の膝下に装着した銀色に光る義足を見やる。義足の女性が出演する「切断ヴィーナスショー」のトップバッターを任されたけど、気負いはない。直前に「緊張はない?」と聞かれても「全然」と笑顔で即答した。ステージに歩み出ると、久々のスポットライトを浴びて、ランウェイに進んだ。前の晩は“義足、合わへんかったら、 -
難病で右足失ったキッズモデルが再出発「痛みで記憶が無く…」
2020/11/01 11:00壊死した足は感染症のリスクが高まり、死に至る――。右足の切断を突きつけられた12歳のキッズモデル・海音(あまね)。現在、19歳になりモデルとして再出発を果たした海音に、当時のことを語ってもらった。5歳のとき、お気に入りのブランドショップのフォトコンテストでグランプリに輝いた海音は、カタログモデルとなり、それを機に、複数のブランドからオファーが舞い込んだ。春・秋のカタログ撮影、キッズコレクションの出 -
イラクへ飛んだ日本人看護師「壮絶な痛みの中亡くなる子供が…」
2020/10/26 11:00看護師・金澤絵里さん(43)は、アフリカや中東、東南アジアなどで医療支援に携わってきた。また、仕事の合間を縫って、東日本大震災など、災害が日本を襲うたび、ボランティアとして救護に全国を駆け巡っている。そんな金澤さんは2018年、イラクに赴いていた。「人が行きたがらない地域にこそ、助けを求めている人がいる。そう思って就職先を探していたら、イラクで小児がんの子どもたちに医療支援をしている日本イラク医療 -
看護師語る“コロナ看取り”の現場 92人感染の老人保健施設で
2020/10/26 11:00「『病院に搬送はできません。施設内で看取ってください』札幌市の保健所から、そう言われて、遺体を入れる納体袋だけが施設に届いたそうです。そもそも、老人保健施設に、十分な医療設備はありません。コロナの重症者にできることといえば、酸素吸入を行うか、解熱剤投与や点滴をするくらい。私たちは、入所者さんたちが亡くなっていくのを、ただ看取るしかできませんでした……」そう話すのは、看護師の金澤絵里さん(43)。こ -
100万人に数人の難病…アントニオ猪木が語る「闘って死にたい」
2020/10/19 11:00「どうも。よろしく」想像よりも、ずいぶん柔和な声がした。その主を見上げると、鴨居に届きそうな高身長の紳士が、踏みしめるよう一足ずつ歩を進めてきた。ガッシリした上半身を薄紫のシャツで包み、首には象徴的な深紅のストール。“燃える闘魂”アントニオ猪木さん(77)が、目の前のソファに、どっかりと腰を下ろして話し出す。「朝起きるとね、若いころには“いの一番”で水風呂を浴びていたのが、今朝も風呂か、仏様に手を -
猪木 がん逝去の愛妻を語る「自分の命縮めて俺に時間くれた」
2020/10/19 11:00アントニオ猪木さん(77)は、後ろを振り返らずに生きてきた。「元気があれば何でもできる」を体現し、モハメド・アリ戦(76年)やイラク在留邦人人質解放(90年)など、不可能を可能にしてきた男だ。しかし、いまや杖をついて歩き、「心アミロイドーシス」という100万人に数人の難病も抱える。“毎朝元気をかき立てなくてはならない状況”と話す猪木さんは昨年8月、愛妻・田鶴子さん(たづこ・享年62)をすい臓がんで -
猪木振り返る半生 ブラジル移住では血まみれの手でコーヒー収穫
2020/10/19 06:00「私には父の記憶がほとんどありません。母は父の石炭工場経営を引き継ぎ、女手ひとつで私ら家族を養った。よって私にとっての親代わりは、祖父だったんです」アントニオ猪木さん(本名:猪木寛至・77)は43年2月20日、横浜市鶴見区で11人きょうだいの9番目の六男として生まれた。5歳になる直前に父が急死。母・文子さんと離れ、祖父・寿郎さんの家で幼少を過ごした。祖父の口癖《何でも世界一になれ、心の貧乏人にだけ -
映画デビュー60年の岩下志麻「老いは怖くない、いつも自然体」
2020/10/12 11:00「『いけいけ、もっとやれ! ああ、もう、何やってんのよぉ~~』。プロ野球中継がある日は、こんなふうに一喜一憂しながら、リビングで1人大声を張り上げています。気づいたら、ソファからも立ち上がってたり。野村監督(克也・享年84)がチーム再生に乗り出したころからのタイガースファン。特にいまはコロナでいろんなことが自粛になっているから、野球観戦が唯一といってもいい楽しみですね。ときどき篠田がやってきて、『 -
岩下志麻の“母の顔”「撮影後は娘を抱きしめ“愛してる”と」
2020/10/12 11:00今年、映画デビュー60周年を迎えた女優の岩下志麻さん(79)。くしくも、その作品『乾いた湖』を監督し、やがて夫となるのが、篠田正浩さん(89)だ。お2人は結婚以来、自立した夫婦の先駆けとして、互いを「戦友」と「同志」と呼び合いながら第一線で活動してきた。120本以上もの映画に出演し、その大半で主役を演じた岩下さんだが、最も多いのが篠田監督とのコンビ。そして、夫婦の間には一人娘がいる。岩下さんが32 -
「家事は放棄して、と言われ…」岩下志麻語る“戦友”夫婦像
2020/10/12 11:00『心中天網島』など日本映画史に残る名作や、『極妻』など、近寄りがたい美貌で、ちょっと怖そうな印象を持つ人も多いはず。そんな岩下志麻さん(79)がコロナ禍で、自宅のリビングで大好きな阪神の試合に、大声を張り上げながら熱狂しているというからビックリだ!夫は、篠田正浩さん(89)。女優と監督としてコンビを組んできた夫婦の関係は半世紀にわたってお互いに自由で自立しているーー。「篠田との初デートは、彼が監督 -
しずかちゃん演じた82歳声優の半生…1千万円使い込まれ裁判も
2020/10/05 11:00週末の、静まりかえった都内のオフィス街の一角に、少し場違いな浴衣姿の若者が集まり、雑居ビルに吸い込まれていく。この日、若手声優を育成する「スクール・デュオ」の稽古場では、11人の生徒が、机を高座に見立てて、落語を披露していた。途中、言葉に詰まる生徒に、ソファに深く腰かけ、全体を見渡していた女性が助け船を出した。「セリフが飛んでるよ~。誰か、プロンプ(セリフを教え、役者を助ける)してあげて」声の主は -
しずかちゃん演じた82歳声優「これからは声優界に恩返しを」
2020/10/05 11:00アニメはいつも私たちにとって、現実を忘れさせてくれる、夢の世界の出来事だ。キャラクターに魂を吹き込む声優たち。『サザエさん』のワカメちゃん、『ドラえもん』のしずかちゃんを演じた野村道子さんは四半世紀超にわたって、私たちを夢の世界に導いてくれた。いつしか“旅立つ”仲間も多くなってしまったが、ワカメちゃんも、しずかちゃんも決して年をとらない。野村さんもまた、82歳になっても、どこまでも若く、私たちを夢 -
「夫は財務省に殺された!」“森友自殺”妻の独占告白
2020/09/25 06:00モリカケ、桜を見る会など数えきれない疑惑にまみれてなお、首相の座にしがみ続け、連続の在任期間歴代最長記録をなしとげた直後の辞任表明。多くの人はこう思ったはずだ。「逃げ切るつもりだ」と。納得のいく説明はいまもない。許されることだろうか。一人の死者が出ているのだ。「私は真実を知りたい」。残された妻・赤木雅子さん(49)の叫びを前に、安倍さん、あなたは自分の胸に聞いてみるべきことがあるはずだ――。〈―― -
“森友自殺”遺族妻の独占告白「私はただ真実が知りたい」
2020/09/25 06:00〈――愛する人が自ら命を絶っている姿を目の当たりにする。そんなことが想像できるだろうか? まさにそういう場面に直面した女性が夫の死の真相を求め、たった一人で巨大組織と闘いを始めた。夫が見守ってくれると信じて―。その名は赤木雅子さん(49)。財務省による公文書の不正な書き換え=改ざん事件を巡り、国などを相手に裁判を起こしたその人だ〉私の夫、トッちゃんは1年以上、心を病んで苦しんでいました。本名は赤木 -
“あしなが”設立の玉井会長「早世した妻が背中を押してくれた」
2020/09/14 11:00あなた、助けて。そう言い残し、29歳で逝った最愛の妻の死を無駄にしたくない。その一心で、災害や病死、あらゆる理由で親に先立たれた子どもを救うべく立ち上がった「あしなが育英会」の玉井義臣(よしおみ)会長(85)。大切な人が奪われる痛みを知っているからこそ、人の心に寄り添える。このコロナ禍でも、40億円もの財源不足があったにもかかわらず、奨学生に1人15万円の支援を実現したのだ。玉井さんが遺児への支援 -
あしなが・玉井会長「必ず守る」コロナ苦の学生に10億円支給
2020/09/14 11:00「私は、どんなことがあっても、今、進学に困っている遺児たちを、諦めさせるようなことなく頑張っていく。ちゃんと(学校に)行かせる自信があるので、安心して勉強なり、お母さんの手伝いなり、やってください。私は長年の経験で、必ず君たちを守るから」4月17日午後、「あしなが育英会」の玉井義臣(よしおみ)会長(85)は、全国の奨学生にそう呼びかけた。遺児一人一人に語りかける玉井さんの声は温かく、頼もしかった。 -
「おはらい費まで請求されることも」弁護士語る自死遺族の現状
2020/09/07 11:00「自死は悪いことでも、気持ちの悪いものでもない。亡くなる人は必死に頑張って生きて、それでも死に追いやられてしまったんです。浩介さんと生きてきた私には痛いほどわかるから」病いに倒れ自死を選んだ夫・浩介さんに後を押されるように、40歳のとき、4児を抱えながら司法試験に合格した佃祐世(さちよ)さん(48)。自死遺族の支援・訴訟に奔走する毎日だ。「彼はとてもアクティブな人でした。しかしある日、趣味のジョギ -
「自死した夫との約束果たしたい…」40歳で弁護士になった主婦
2020/09/07 11:00「これは……、後ろに船が写ってるから横浜かなぁ。結婚前のデートのときですね~」思い出の品物を見せてほしいとリクエストすると、女性は少し照れくさそうにしながら、最愛の人と撮った写真を机に並べてみせた。「笑顔が本当に素敵な人なんです」と、じつにうれしそうに話す。その瞳には、ハートマークが浮かんで見えるようだ。「それで……こっちは結婚前に、主人に宛てて出してた手紙です」彼女はこう言って、今度は大量の封書 -
19歳でホールコンサート成功!天才ピアニストを育てた母の葛藤
2020/08/31 11:00紀平凱成(かいる)くん、19歳。その指から紡ぎだされる若々しい旋律で、多くのファンを虜にしてきたピアニストだ。幼いころから作曲も行い、7歳で“ピアニスト宣言”。13歳で東京大学と日本財団が進める「異才発掘プロジェクト」第1期ホーム・スカラーとなり、16歳で英国トリニティ・カレッジ・ロンドン(国際的ピアノ検定)の上級認定試験に合格して奨励賞を受賞。18歳にして、ここ浜離宮朝日ホールでのデビューコンサ -
生活音でパニックに…“感覚過敏”乗り越えた19歳ピアニスト
2020/08/31 11:00猛暑日となった8月8日の午後4時。東京・築地の浜離宮朝日ホールのピアノ庫に、ピアニストの紀平凱成(かいる)くん(19)と両親の姿があった。9月4日に行われる紀平凱成ピアノリサイタル「Miracle」まで、1カ月を切った。それに先立ち、今日は“ピアノ選定”が行われる。「ピアノは1台1台、音色や鍵盤のタッチが違うものです。本番で弾く曲目なども考慮しながら、4台のグランドピアノの中から、当日使用するピア -
エリート医師が選んだ自給自足「マシーンから人になれたよう」
2020/08/24 11:00医師で、栃木県那須烏山市にある「七合診療所」の所長・本間真二郎さん(51)は、寝る間を惜しんで西洋医学を究めるも、一転、栃木県での農業と自給自足を選んだ。里山に居を構え、家族と土を耕す。自家製野菜を育てながら、笑顔で暮らしている――。「将来、医者をしている姿以外、イメージが湧かなくて。物心ついたころから、自分は医者になるって、直感的に思ってました」札幌医大で勤務していた本間さん。優秀だった彼は32 -
「コロナは怖くない」自給自足選んだ元ウイルス学専門家が語る
2020/08/24 11:00「ここがうちの畑。あ、ちょうどズッキーニは食べごろですね。採れたては、何もつけなくても、うまいですよ」夏空の下、青々と茂る畑を眺めながら、白衣に長靴という出で立ちの男性は顔をほころばせた。その背後では、小学生の男の子が「わ、大っきなキリギリス、待てー」と、虫取り網を手に、元気に走り回っている。目を細めるのは、医師で、栃木県那須烏山市にある「七合診療所」の所長・本間真二郎さん(51)。本間さんは診療 -
林家木久扇の死生観「くだらない落語が自殺を食い止めた」
2020/08/14 11:00「『笑点』もリモートになっちゃいましてね。でもYou Tube始めたり、コロナ時間でもあんまり暇ではないんですよ。82歳にして元気だって?笑ってくれたらいいんですよ。いろいろやって、ときにはバカやって、自分も一緒になって笑うんです。それでひと様の命、助けたこともあるんだから。認知症とか、終活とか、そんなことが話題だけど、笑いとばせばいいんですよ。そうすればニッポンは明るくなりますよ――」世界一の長 -
林家木久扇語る『笑点』黎明期“僕はこのままだとクビだ”と…
2020/08/14 11:00「ほかの噺家さんと違ってね、僕には『生まれてくることは普通じゃない』っていう、無常感がずっとあるんです」37年、東京・日本橋に4人きょうだいの長男として生まれた林家木久扇さん(82)。小学校1年のとき東京大空襲を体験して以降、森永乳業の社員、漫画家デビュー、とさまざまな職を経験したが、根底にあったのは『生きてて得した』という気持ちだったという。そして、落語家としてデビューして60周年の今年。いまや