――吉永小百合さん(71)と姜尚中さん(65)はラジオの番組などで折に触れて意見の交換を重ねてきた。そんなふたりが緊急対談。いまこの対談を通して、訴えたいこととは。
吉永小百合(以下、吉永) 初めてお話したのは07年。私のラジオ番組に来ていただきました。そのとき私、姜先生に、こう質問しました。「『憲法9条を守ってほしい』と友人に言ったら『よその国が攻めてきたらどうするのか』と言われて、言葉に詰まってしまいました。なんと返せばよかったのでしょうか」って。姜先生は、「あの天文学的な軍事力を持っているアメリカでも、9.11のテロを防げなかった。だから日本も、アメリカ以上の軍事力を持たないと、武力で抑止するのはむずかしいし、それは不可能。憲法9条を持っていることのほうが、より安全を守れるんですよ」と答えてくださったんです。
姜尚中(以下、姜) あぁ、そんな話をしましたね。吉永さんも、この間さらに、憲法9条を守ってほしいというお気持ちが強くなったのではないですか。昨年は、安保関連法も成立してしまいましたからね。
吉永 大混乱のなか強行採決されてしまって。あきらめかけている方も多いのではないでしょうか。私自身もそういう思いになることがあります。私は若いころ、母に「なぜ戦争は起こったの?反対はできなかったの?」と質問したことがあるのです。そしたら母は、ひとこと「言えなかったのよ……」って。言えないって、どういうことなんだろうと、そのときは理解ができなかった。けれど最近、母の言っていた意味がわかります。今の世の中を見ていると、息苦しい感じがして。
姜 そうですね。私も、この年齢になって、実際、日本が「新しい戦前」に向かうのではないか、という気持ちがないわけではありません。以前は「やっぱり戦争はダメ」という最低限度の暗黙の了解がありましたが、最近は、そのタガが急に外れつつあると感じます。
吉永 はい。こんな時代だからこそ、私たちも、思っていたら言わなきゃいけないと、今改めて思っています。
姜 たとえ感情的だと思われても、戦争は嫌だと言い続けなければなりませんね。
吉永 はい。日本は核廃絶に関する会議があっても、政府として明確に核廃絶を訴えませんよね。唯一の被ばく国だから、核や核兵器は絶対やめようと言ってほしいのに言わない。被爆者の団体の方たちも、どんなにガッカリしていらっしゃるかと思います。それはシンプルに言わなきゃいけないことなのに。
姜 今、こうして僕たちが話をしている間も、沖縄の高江という集落では米軍のヘリパット建設に反対する住民たちに対して政府の荒っぽい弾圧が行われています。けどこうした問題を中央のメディアは、あまり伝えません。
吉永 ええ。そんなに必要なら海兵隊を東京に持って来たらどうかと思うくらい、申し訳ない気持ちがあります。言葉では言い表せないほどつらい経験をしてきた沖縄の人たちに、もっと人間らしい対応をしてほしいと思うんですね。けど、なかなかそういう思いは政治に反映されません。私自身、どういう形で政治をチェックし、参加していけばいいのだろうと、思い悩んでしまうんです。
姜 けど、僕は今回、日本の市民社会の成熟はたいしたものだと思いました。「シールズ」のような若い人たちが声をあげ、全国にはお母さんたちの「安保関連法に反対するママの会」ができました。またこれに一般市民や学者が加わり、市民連合ができた。その後押しで、参院選で野党共闘が実現し、すべての一人区で統一候補が立てられました。吉永さんも関西の市民連合にメッセージを寄せておられましたね。
吉永 はい。こういう市民の活動は、ほんとうに素晴らしいと思います。みなさんが、自分が思っていることを声に出して、意志表示しておられる。その中でも意見はたぶん違うのだと思うのですが、いろんな場所で、つながって行動する力強さを感じました。ただ、これを継続していかないといけませんよね。
――未来への不安、老後の不安を抱えている人が多い日本。こんな時代を、どう乗り切っていけばいいのか。おふたりにお聞きした。
姜 市民連合やママの会などもそうですが、やはり「つながっていく」ことです。むずかしい言葉でいうと、「社会関係資本」と言うんです。つまり、お金では買えない関係ですね。社会関係資本が成り立っていれば「お金を貯めないと」と考えて、将来や老後を不安に思う必要はありません。
吉永 人と人が手を携えて、思っていることを声に出していくことですね。今年は戦後71年ですが、私はここからが大事だと思うのです。先の戦争を反省し、2度と戦争をしないという憲法9条を大切にして、戦後が80年、100年と続くように、みんなの思いで平和をつなげていきたいです。
(完全版は『女性自身8月23日・30日合併号』で)