快活な笑顔が、ショートヘアによく似合う。主婦で、元八王子市職員の澤千代美さん(72)は、50歳で始めたベンチプレスで現在、世界大会19連覇という偉業を達成中の“70代女性の星”。孫が3人いるおばあちゃんでもある。
「私は給食のおばちゃんでした。子供も大好きで、本当に充実した職場でした。そこで20年以上働き続けていたときの健康診断で、太り過ぎと言われてベンチを始めるんです」
秘められていた才能は瞬く間に開花し、競技を始めて1年ほどで、まず全日本ベンチプレス選手権大会で優勝して日本代表に。そして01年、ルクセンブルクでの「第1回世界ベンチプレス選手権大会」で、50代の「マスターズ2」に出場し、95キロを挙げて優勝。
こうして初代チャンピオンとなって以降、今年の第19回大会まで、負けなしで記録を更新している。そのほとんどが世界新記録だ。
「でも、やっぱり、昼は給食のおばちゃん、夕方からはジムで練習の生活はかなり大変でしたね。具体的な練習内容は、65kg×8回を5セットなど、ベンチプレスだけでたっぷり2時間はやりましたね。でも、日本人は腕が短いので、実はベンチには有利なんだそうですよ」
と謙遜するが、それは普段からの徹底した生活管理に支えられているからではないだろうか。そう尋ねると、意外な答えが。
「いつも聞かれる質問ですが、困ってしまう。特に生活で気をつけていることはないんです。食事も睡眠も、競技を始める前と変わらないし。食べたいものを食べてます。サプリメントも苦手だから飲みませんし。もう、申し訳ないくらいの自然体です(笑)。ただ、水は1日2リットルくらい飲みますね」
10年に仕事を退職したあとも、そんな自分のペースを守りつつ競技をしながら、記録を更新し続けてきた。その功績が認められて、これまでに文部科学大臣感謝状や八王子市教育委員会表彰を複数回受けている。現在は、東京パワーリフティング協会理事を努め、日本体育施設協会生涯健康指導士などスポーツに関する6つの資格を有している。
澤さんは、一つのことに打ち込むことによって、精神的にもまた鍛えられたと語る。
「当初は、やっぱり優勝し続けられるかどうかが不安で、願掛けをしたりもしていました。山で修業しているような先生から次の大会は『赤がいい』と助言を受けて、赤いコスチュームの“吊りパン”をわざわざ着たり。でも、自分が努力して実績も積み重なっていくなかで、どんなときも、“もう、おっかなくないかな”と自然に思えるようになっていました。
あとは家族の支えですね。先日の千葉の成田での大会にも、主人や娘たちが応援にきてくれました。娘なんて、私がベンチを始めた当初は『なんで、わざわざお母さんが、そんな重たいものを持つ必要があるの』と猛反対していましたけど。その娘は、私が19連覇したときに、八王子のケーキ屋さんで似顔絵のケーキをプレゼントしてくれたんです。これが、自分で見てもそっくりで(笑)。最近、いちばんうれしかったことでした。世界を目指すとなると、やはり家族や周囲の人たちの支えがなければ、競技は続けられません。感謝です」
いつも前向きな澤さんだが、このコロナにだけは思いがけず苦しめられたという。
「今年10月のリトアニアの世界大会も、本当にコロナが一時的に下火になったタイミングで開催できて、世界の競技仲間や関係者のみんなで『よく実現できたね』と、話したもんです。行く前のPCR検査、帰国後の2週間のホテルでのカンヅメ状態など、とにかく競技以上に、いつも不安でしたね。
ただ、そんななかも、ステイホームで逆に注目されたのか、女性でベンチプレスをやる人が増えているようです。やはり、筋トレから興味を持たれるようですね。20数年前の自分が始めた頃のことを考えると、うれしいです」
年が明ければ、5月にはカザフスタンで、20連覇のかかる世界大会が開催される予定だ。
「現在は週1で地元のジムで調整しながら、月1で横浜のジムまで行き本格的に練習しています。車で往復5時間かけても通うのは、信頼できるトレーナーがいるからです。試合のセコンドもそうですが、この目には見えない信頼、安心感がベンチプレス競技では重要です。
まず、1月の全日本で勝って代表となり、世界大会では優勝して20連覇したい。その先のことは、またそのとき考えます。家族は『キリのいい20回でやめろ』ですかね(笑)。自分のなかでは、100kgを挙げられなくなったら辞め時かな、と思っています」
ベンチプレスの世界では、階級さえ下げれば90代の選手もいたというが。
「私自身は、あくまで自然体に、と思っています。仕事をしながら週1の練習だった私が、いわぱ世界にポッと出て優勝できた。なんだか、ガンガン練習している人には申し訳ない思いもあるんです。そして今は、長く続けてきたことで、こうして雑誌の取材を受けたり、テレビの『ジャンクスポーツ』(フジテレビ系)にも呼ばれたり。だから、これからも自分らしさをなくさずに、ベンチとも付き合っていことう思っています」
最後に、競技以外の息抜きを聞いた。
「たまの温泉と、友人とのランチ。世界大会に向けて減量も考えてますけど、ランチ後のお茶では、大好きなショートケーキは我慢しません!」
最後も、また笑顔。この明るさが、20連覇のプレッシャーもきっと吹き飛ばしてしまうだろう。