住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、毎週ドキドキしながら見たドラマの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。
「『3年B組金八先生』(’79~’11年・TBS系)の第2シリーズのオーディションは、第1シリーズに出演した、たのきんトリオ(田原俊彦、野村義男、近藤真彦)さん、三原順子(現・じゅん子)さん、杉田かおるさんの人気もあって、応募者が殺到。それまで参加した子役のオーディションとは、ぜんぜん違う雰囲気でした。2次、3次と審査が進むうちに、私の劇団仲間もどんどん落ちていってしまって……。最終的に出演が決まったときには、ほかの合格者と抱き合って喜んだほどです」
こう語るのは、女優の伊藤つかささん(55)。5歳で劇団いろはに所属して以来、子役として、当時すでに朝ドラや大河ドラマなどで活躍していた。
「母も引っ込み思案だったことから、私が人見知りするのを心配して、劇団に入れてくれたんです。最初に出演したのは『それぞれの秋』(’73年・TBS系)というホームドラマ。『天下のおやじ』(’74年・日本テレビ系)が初めてのレギュラーで、長門勇さんや草笛光子さん、水谷豊さん、寺尾聰さんと共演させていただきました。撮影の合間などに、水谷さんが小道具で遊んだり、笑わせてくれたりしたのを覚えています」
『ケンちゃん』シリーズ(’69~’82年・TBS系)や『仮面ライダー』シリーズ(’71年~・テレビ朝日系)にも出演したが、基本的にはホームドラマが中心。大人に囲まれて仕事をする機会が多かった。
「相変わらずの恥ずかしがり屋で、誰かと話すとき、母やマネージャーさんなどワンクッション置かないとダメ。撮影で学校に遅刻したり、早退するのも、教室で注目を浴びてしまうので、嫌でした」
そんなシャイな子どもでありながら、ミュージカルには憧れを抱いていた。
「映画で見た『ウエスト・サイド物語』(’61年)が衝撃的で。母が『(ベルナルド役の)ジョージ・チャキリスに会ったことがある』と言っていたんです。イベントで来日したとき、伊勢丹で偶然見かけただけのようでしたが(笑)。『グリース』(’78年)も印象深い作品です」
こうして多感な中学時代を迎えたころ、放送の始まったドラマが『金八先生』だ。
「中1のとき、第1シリーズを見て“私もあの現場にいたかった”って思ったんです。同世代がワーワー楽しそうに演じているのがうらやましかったんですね。なんでオーディションを受けさせてもらえなかったのか、事務所の人に聞くと、私があまりにも子どもっぽすぎて、中3には見えないからだと言われました」
だからこそ、翌年の第2シリーズには出演を果たしたかった。
「最終審査の会場に沖田浩之くんがいたのですが、私は全然知らなくて、ほかの参加者から『有名な竹の子族なんだよ』って教えてもらいました。当時、彼は高3で、すごく大人な雰囲気。幼い私と、たしかに差がありました(笑)」
第1シリーズがかなりの人気だったことから、第2シリーズは放送前から注目度が高かった。
「最初にポスター撮りをするとき、荒川の土手に集まったのですが、雑誌やテレビの取材がものすごくて。“いままでの現場とは、全然、違うなー”って思いましたね」