1985年に発生した「日本航空123便墜落事故」のボイスレコーダー等開示請求裁判で、最高裁判所が上告棄却および上告受理申立の不受理を決定したことがわかった。
最愛の夫・雅男さん(享年45)を同事故で失った原告・吉備素子さん(81)が、5月23日午後に東京で行われた記者会見で明らかにした。
「最高裁の結果は、とても残念な形になってしまいました。しかし、夫を失った39年前には、このように真実を追求するために裁判できるなどと思ってもみませんでした。
上告棄却となりましたが、これではあきらめきれません。なぜ、あのような事故が起きて、なぜ、夫を含む520人もの尊い命が犠牲になったのか、その事故原因を、これからも追究していきたいと思います」
1985年8月12日18時56分に、群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落した羽田発大阪行き(ボーイング747)には乗員・乗客524人が登場していたが、生存者はわずか4人。
犠牲者520人という単独機世界最大の大惨事にもかかわらず、発生から36年間、日本では一度も裁判が行われてこなかった。
そんななか吉備さんは2021年3月、日航に対して民事訴訟を東京地裁に起こしたが、同年10月13日に地裁は請求を棄却。
その一審判決を不服として控訴するも、’23年6月1日に棄却。
そして、その控訴審判決を不服として、上告および上告受理申立を行っていたのだが、最高裁は今年3月28日付で上告棄却および上告受理申立の不受理を決定したのだ。
「これによって、本件訴訟は終結しました。『なぜ夫がこの事故で命を失わなければならなかったのか、納得できる原因を追究したい』という吉備さんの望みに、司法が応えることはありませんでした」
代理人の三宅弘弁護士は、苦渋の表情でそう語った。
同事故は発生直後から、日航による事故原因の説明はなく、運輸省(当時)事故調査委員会による’87年の事故調査報告書で《ボーイング社の修理ミスが原因で後部圧力隔壁が破壊、急減圧が発生し、垂直尾翼が吹き飛ばされたことが原因》とされ、以後の調査は打ち切られていた。
他の遺族も含めて何度も訴訟が準備されたが、刑事事件としての告訴は不起訴処分に終わり、32件あった損害賠償請求はすべて和解となり、真相究明から遠ざかるばかりだった。
しかし事故調査報告書には「付録」があり、それが2013年に国土交通省ホームページで公開されていたことが、のちにわかった。
その116ページには事故機の垂直尾翼の部分に「異常外力の着力点」として黒丸がマークされており、報告書で結論された原因「圧力隔壁の破壊」に対して疑問が広がったのだ。
吉備さんは憤りを隠さない。
「日航や国の対応は当初から辻褄が合わず、おかしな点ばかり。国も日航も、何か隠している気がして、疑問を持ち続けていました。真相を追究するためには、日航が保管しているボイスレコーダー、フライトレコーダーの音声を聞くしかないと」
股関節に持病があり、車椅子が必要なほどの吉備さんが、齢80にして立ち上がった裁判だったが、2023年の控訴審判決の棄却理由を要約すると、
(1)ボイスレコーダー等の内容は、事故調査報告書に添付され公開されているため、開示の必要はない(編集部註=同報告書で公開されたのはボイスレコーダーの全部分ではなく、抜粋と思われる書き起こしのみで、音声はなし)
(2)かつて吉備さんと日航等とのあいだで成立した和解(前述)は、同事故についてのすべての請求権を消滅させるものだから、ボイスレコーダーの請求権もない
そして今回、最高裁で上告棄却と上告受理申立の不受理が決定したのである。
「異常外力着力点(前述)に加えて、上野小学校の児童の文集など新証拠が続々見つかり、報告書の矛盾が多く出てきています。それなのに、裁判では『報告書に書いてあるからボイスレコーダーの開示は不要』とされてきたんです」
そもそも「異常外力着力点」という表記が注目されたのは、報告書の付録の存在を指摘した青山透子著『日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす』(河出書房新社)が出版された2020年以後であり、吉備さんたちが請求権を放棄したとされる「和解」は20年以上も前に結ばれていたものである。
最近になって新しい証拠が、しかも報告書から出てきたわけで、本来、報告書は再検証されてしかるべきなのだが、裁判所は新しい証拠より20年も前に結ばれた取り決めを優先させたということになろう。
しかしいま、吉備さんは、気丈に前を向こうとしている。
「今月6日に転倒してしまい、主治医から『2週間の安静』と言われていたんです。でも『今日はなんとしても』と起き上がって、みなさまへの報告に上京しました。
天国の夫には、今日の時点では『残念な形でした』と報告するしかありません。なんだか、夫に頭をコツンとされたような気もするんですが、できるだけのことを、これからも頑張りたいと思います。そのとき初めて『もういいよ』と言ってくれる気がして……」
次なる策は「これから考えていきたい」としながらも、以下のような思いを抱いている。
「みなさんのご協力でここまで来たけれど、これであきらめきれません。本当の事故原因を明らかにしてほしい。私は、生後3カ月のときに父がニューギニアで戦死しておりますので、顔も覚えておりません。戦争で父を奪われ、夫があのような形で奪われ、今度は、子や孫たちを奪われてしまうかもしれないという恐れを持っています。
それを防ぐために、孫たちの未来のためにも、国に訴えるのか、事故調(国土交通省)に原因究明を願い出るのか、できる限りの方法で、事故原因を明らかにしたいです」
(取材・文:鈴木利宗)