第50話 母にとって別れの意味
認知症の脳には、比較的感情面が、残っていることは、あまねく知られているところだと思う。
2011年が、明け、母にとっては、その残っている脳の感情面が、大きく揺すぶられることが、多くなってしまった。
まず、息子との別れである。
母に心の準備を、と考え、何度も忘れる母に、何度も息子が、オーストラリアに戻る事を伝えたことは、果たしてよかったのか、どうか。
息子が、いなくなった母は、一気に鬱状態に陥ってしまった。
やっと息子が、いなくなったことを受け入れ、いつもの日常生活が、戻ってきたかと思われた矢先の東北・関東巨大地震である!
地震の時の母の大混乱ぶりを目の当たりにして、ああ、やっぱり、認知症が、随分悪化してしまったな、と思わずにはいられなかった。
息子が、いなくなった母の喪失感は、計り知れなかったのだと改めて感じた・・・
愛おしい人との別れは、誰でも辛い。
私は、息子に「この別れが、あるからこそ、次に会う時の喜びが、大きいからね。」などと言い、何とかお互いを納得させ、誰よりも自分を納得させたかった。
息子には、シドニーに戻れば、父方の家族や、友だち、学校生活といった日常生活が、待っている。
母には、一体何が、あるというのだろうか・・・
私は、母が、ドンドン忘れる事を切に望むのだが、感情に刻み込まれた強い思いは、どうやら残るらしい。
この巨大地震で、日本中が震撼としている中、再び息子に会える日が、くるのだろうか。母が、そんな風に思っているのをヒシヒシと感じることがある。
そして、私もそんな母と一緒の運命共同体なのだ、とつくづく思う。
2011.3.26 (土)更新予定!<動画49:アルツハイマー病の母と息子が、オーストラリアに戻る日>
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