■施設に通う少女に性暴力を働いた職員の裁判を偶然傍聴して気持ちが固まった
教師Aと別れた石田さんは、大学3年生の1年間を休学し、京都でバイトなどをして過ごした。そして大学に戻り、4年生で行った教育実習でのこと。
「高校の教壇に立ち、ハッと思うんです。私が22歳で生徒は18歳くらいで年齢差もそれ程なかったんですが、それでも、この子たちを恋愛対象にするのはおかしいと。そもそも教師にとって、子供というのは恋愛対象ではなくケアすべき対象なんだと確信しました」
そこへ教師Aから、大学を卒業したタイミングで再び手紙が届き始める。
「『交際中の女性と別れるかもしれない』『私は女性を尊敬しているのに、なぜ愛されないのか』などとあり、最初は無視しましたが、2回目の手紙が届くに至って、札幌市の教育委員会に、中学以来の教員との出来事を記して『厳重に処罰してほしい』と要望書を送りました。
その後、教育委員会を訪ね、私は先生と生徒が恋愛すること自体がおかしいと主張しました。しかし、元は小学校校長だったという児童相談員の高齢女性は『卒業してからの恋愛は自由だから』といった対応で、『相手の教師にも告げます』とのことでしたが、結局、あとで告げられていなかったこともわかるんです。すべてをうやむやにされたような印象で、人間不信にも陥ってしまいました」
その後、もっと美術の勉強をしたいと思った石田さんは、金沢美術工芸大学に入学。卒業後、29歳のときにフォトグラファーを名乗り、結婚式場の写真撮影などで生計を立てるようになる。さらに1年弱のフィンランド留学を経て、帰国後に上京。35歳になる直前の沖縄旅行で、転機となる出会いがあった。
「ある高齢の男性と友人になりましたが、彼が過去に服役経験もある波瀾の人生を送ったと知るんです。えっ、服役って、傷害罪ってどんなことだろうと、そんな単純な疑問が、帰京して裁判傍聴をするきっかけでした」
東京地方裁判所に傍聴に出かけたのは、37歳の5月だった。
「本当に偶然に、その日、傍聴できたのが児童福祉法違反の裁判でした。被告は20代後半の男性で、被害者は16歳の少女。加害者男性は養護施設の職員で、施設に通う少女に性暴力を働いた罪を問われるんですが、その職員が供述するんです。
『恋愛だった。同意があった』。そのとき初めて知るんです。私に起こったのは、裁判になるようなことだったんだ、と」
裁判所からの帰り道、涙がポロポロとこぼれ落ちてきた。過去をふり返り、何度も自問自答するなかで気持ちが固まっていく。裁判傍聴から7カ月後、石田さんは札幌に戻り、教師Aを呼び出す。教育委員会への申し立てに先立ち、証拠となる音声データを集めるためだった。