91歳、現役介護看護師の74年間 利用者と目を合わせ、話に耳を傾け、肌を合わせる
画像を見る 入浴後も会話を重ねながら利用者の心身状態を把握していく細井さん(撮影:田山達之)

 

■退院間近の高齢男性の飛び降り自殺が契機に 国内でも先駆けとなる訪問看護を開始

 

当時から先進的な医療に取り組んでいた京都南病院へ移ったのは36歳のときで、総婦長に抜てきされる。ここで、大きな転機となる出来事が起きる。入院患者の自殺だった。

 

「よくお話をする患者さんの一人で、退院間近の高齢の男性でした。その日、ご家族の面会が終わったあと、寂しそうに打ち明けてくれたんです。

 

『さっき、おじいちゃんの部屋はもう孫の勉強部屋になっている、と告げられた』と。 退院しても、実家に自分の居場所はないと悲観したんでしょうね。その後、3階の病室の窓から飛び降りはりました。私は、男性の話を聞かされたとき、『家に帰るのも、いろいろ大変ですね』としか言えませんでした」

 

深い後悔に襲われた細井さんは、こんなことを考え始める。

 

「患者さんが、退院しても、ご自宅で家族と共に潤いある生活を続けられるようケアをすることが大事。そのために何ができるやろうか」

 

こうして細井さんの提案で、訪問看護がスタートする。国内でも先駆けとなる取り組みだった。

 

「自宅で療養する患者さん宅を訪ねて、おむつを替えたり、パート勤務の奥さんが作っていったおにぎりを食べさせたり。

 

当初は無料で、やがて車代の500円だけいただきましたが、なかには、『なんで看護婦にお金を払わんといけんのや』と言うご家族もいらして」

 

しかし、3週間もすると家族の対応もガラリと変わり、そして、こんな言葉をかけられるように。

 

「お医者の先生より、看護婦さんが来たほうが、よっぽどええわ」

 

そうした声に後押しされ、細井さんたちのグループは、当時の厚生省へも何度も出向いた。

 

「まだまだ訪問看護や老人施設に対するバックアップは足りませんでしたから、もっと体制を整えてほしいと談判しました」

 

そして、’86年には老人保健施設の制度がスタートする。

 

「すでに始まっていた高齢化社会で、どんな介護が求められるかを考え、リハビリや医療ケアをより充実させて高齢者の在宅復帰を促す施設を目指しました」

 

聴診器を首から下げた看護師の姿も今では一般的だが、これも細井さんが先駆けとなった。

 

「京都南病院に、男か女かや、医者か看護師かといった分け隔てのない考えの循環器系の医師がいらして、その先生が『ICUや透析の患者さんに対するときは、看護婦も聴診器で患者の体調を的確に見極める必要がある』と認めてくれたんです」 その後、前述のとおり、60歳で定年退職したあとも、老人福祉施設の設立に関わったり、社会復帰のためのイベントを企画したりしながら、看護から介護の現場へと活動の足場を移していった。

 

現在の山城ぬくもりの里の設立には準備段階から関わり、’01年4月にオープンしたときには、初代施設長に就任。

 

こうした活動に対して、’12年には京都ヒューマン賞を、翌年には京都府看護功労賞知事賞を受賞している。

 

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