■コロナ禍でストレスを極限までためていく母親たちを救いたい
’20年春に独立を決意。コロナ禍が始まり、さまざまな制約が社会に広がっていくさなかだった。
「病院や産院で、出産前後の家族の面接や立ち会いが制限され、行政の子育て支援の窓口なども閉鎖されたり、孤独を感じる母親や子供がストレスを極限までためていく現場を目の当たりにしました」
「いまこそ、助産師の自分の役割があるはず」と開業を決めた菊地さんは、近隣の825世帯へのアンケート調査を実施。「産後ケアを利用したいですか?」の問いには、91%もの人が「はい」と答えた。夜な夜な夫と2人で集計をするなど地道な活動を続けていくなか、支援者も増えていく。地元の農家や企業サポーターなど、助けてくれる人の輪が口コミで広がっていったのだ。
’21年7月に長女が誕生。3人の幼子を保育園に預けながら、’22年1月からのクラウドファンディングを成功させ、同年4月、念願のママナハウスがオープン。
ママを対象とした常設の食堂と、自治体と組んでの産後ケア事業、そして冒頭で紹介した日本初の赤ちゃん食堂を3本の柱とし、自身が育児に忙殺されている当面は産前産後のケアに特化してのスタートとなった。
「コロナの真っただ中でしたから、人は集まるのかなとの不安も大きくて。周囲の飲食店が休業を余儀なくされるなか、うちはごはんも出すわけですから。それでも、開業と同時に地域のお母さんたちが、もうわんさかと押し寄せるんです。最近のママはSNSなどでの情報収集には長けていますから」
赤ちゃん食堂は6組入ると満席。いまは予約を断ることのほうが多いという。よりたくさんの親子をサポートするために、もっと広い場所が欲しいと考えているそうだ。
しかし、赤ちゃん食堂のテーブルで笑い声がはじける一方で、「ここに顔すら出せない」という母親たちの深刻な現状があることを菊地さんは実感している。
「ふだんは平気な顔で生活しているママでも、うちに電話やメールをしてくるときは本音で『つらくて、苦しくて、赤ちゃんに手をかけてしまいそうになる』という人もいます。 貧困の問題も深刻です。紙オムツ代がなくて家の中ではオムツなしで育てているとか、ミルクを薄めて飲ませているなどの声も少なくありません」
それぞれの悩みを抱えた母親たちが一様に口にする「寝られない、食べられない、喋れない」。
「そんなママたちの姿が、10代のころや、大学生で出産して子育てしながら助産師を目指していたときの自分と重なるんです。私は苦労も多い起伏に富んだ人生を歩んできましたが、そんな生い立ちも、ここで助産師をするためにあったのかなと、いまは思えるんです」
だから母親たちには「ひとりじゃないよ、一緒にゆっくりママになっていこうね」と、声をかけ続けている。今後は『手が足りない』というシングルマザーや貧困世帯へ、寄付を募ってオムツやミルクを届ける物資支援も充実させるなど、活動の幅を広げていくことを考えているという。
わが国の少子化問題を改善するためのヒントが、日本初の赤ちゃん食堂のテーブルにある。