この日のメニュー、ハンバーグを提供する菊地愛美さん(撮影:高野広美) 画像を見る

【前編】離乳食を無料で提供…日本初「赤ちゃん食堂」創設者語る“ワンオペママにとって何より怖いもの”より続く

 

育児に追われるママたちが、知らず知らずのうちに孤独に陥ってしまうケースは少なくない。赤ちゃん用の離乳食やミルクを無料で提供することで、子育て中の女性に安らぎの時間を過ごしてもらうという取り組みを日本で最初に始めた助産院がある。

 

神奈川県寒川町の住宅街にある三角屋根の助産院「ママナハウス」は、産前産後のケアに特化したユニークな助産院。月2回、離乳食期の赤ちゃんと母親を支援する「赤ちゃん食堂 ままな」を開催している。子ども食堂は全国各地で実施されているが、離乳食まで提供してくれる「赤ちゃん食堂」は希少。その日本第1号が、この施設なのだ。食事の間は子供の世話をママナハウスのスタッフが担う。育児の緊張感から解放されたママたちは、情報交換をしながら食事に舌鼓を打つ。

 

「食の大切さを改めて実感しています。お疲れぎみのママたちが一緒に食卓を囲み『おいしいね』と言い合うなかで打ち解け、いつしか笑顔になっているんです」

 

そう話すのは、赤ちゃん食堂の創設者で、ママナハウス代表も務めるのが、助産師の菊地愛美さん(37)。自身も4人の子を持つお母さんだ。菊地さんが助産師になってママたちの孤独に寄り添っていこうと考えたのは、自身もかつて死をも考えるほどの深い孤独を経験していたから。負けず嫌いな少女だった菊地さんだが、中学生のころに壮絶ないじめに遭った。追い打ちをかけるように両親の仲が悪化する。高校は地元の進学校に入るも、高校1年のときに両親が離婚。高2で不登校になると、高3で中退するなど、10代後半を「暗黒期」だったと菊地さんは語る。

 

自殺を考えたこともあったというが、なんとか思いとどまり、自らにこう言い聞かせた。

 

「今日で一回、死んだことにしよう─」

 

当時の心境をこう振り返る。

 

「人間、どん底まで落ちたら、何でもできるんですね。それで、人と関わる仕事をしてみたいと思ったときにパッと頭に浮かんだのが、中学の家庭科の授業で見た助産師の活動を描いたビデオの出産シーンだったんです」

 

そして、助産師になることを決意する。

 

死に物狂いで勉強した結果、1年後には高卒認定試験(旧大検)に合格。19歳のときに慶應義塾大学看護医療学部に入学する。

 

「高額な授業料や実習費のために奨学金を800万円ほど借りました。しかし、家賃や日々の生活費もかかるわけで、昼間は勉強をし、夜はバイトに追われました。その時期に出会ったのが今の夫です。ここ寒川出身の、7つ年上で職人気質の電気工事士。やがて、妊娠がわかったのです」

 

産むことに迷いはなかったが、母親業と学業の両立に悩んでいたところ、妊娠直後に入籍した夫の正人さん(44)は言った。

 

「お母さんも学生も、どっちもやればいい。おれも協力するから」

 

’07年10月、長男が誕生。出産による休学もあって5年かけて卒業した大学では、看護師と保健師の資格を取得。さらに助産師の資格を取るため、衛生看護専門学校助産師学科で1年間学んだ。

 

「念願の助産師になるため、ここは頑張りました。私、首席で卒業したんです! まだ幼かったけど、息子にママの背中を見せたいと」

 

その後10年間は、いくつかの病院や産科クリニックで看護師、助産師として働いた。生と死が間近にある現場での経験が、助産師としての活動の軸になった。その間、’16年に次男が、’18年には三男が誕生し、男の子3人の子育てに加え、昼夜を問わない勤務のハードな生活が続いていく。

 

「頑張れたのは『奨学金の借金800万円を20代のうちに返済する』という明確な目標があったから。これが達成できたのも、私が夜勤のときには夫が子供の世話をしてくれるというフォローがあったからです。感謝してます」

 

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