【前編】「息子と一緒にもっと家族写真を撮っておけばよかった」ある母親の心残りが“絆画”作家・大村さんの誕生のきっかけにから続く
大村さんはすぐにホームページを立ち上げ、SNSでも「絆画、始めました」と告知。
すると以前、似顔絵を描いたことがある女性から、最初の依頼が入る。彼女は再婚目前、事故でお相手に先立たれてしまったという。大村さんは、じっくりと彼女の話を聞いた。
「そのうえでウエディングドレスを着た彼女と、タキシードの男性が浜辺を歩いている姿を絆画にしました。実現することのなかった、お2人だけのウエディングです」
大村さんが重視するのは、遺族との事前の打ち合わせだ。
「亡くなった人の写真や動画など、資料も拝見します。でも、いちばん大事なのは、故人との思い出について、お話を伺うこと。亡くなった人の性格や癖を、そこから見つけていくんです。そして『もし、いま生きていたら』というご遺族の希望を聞いて、描きます」
似顔絵師時代後半、客との会話を重んじてきた経験が、大いに生かされた。ただ、当時と決定的に違うのは、絆画のための打ち合わせには悲しみがあり、後悔があり、怒りがあり、涙があることだ。
「おじいさん、おばあさんなど、年齢を重ね亡くなられた人の絵を依頼されることも、もちろんありますが、どちらかというと早逝されたお子さんの絵を描いてほしい、という親御さんからの依頼が多い。そして、その多くが自死なんです」
いじめにあい、生きづらさと向き合い、理不尽に追い詰められ、若くして自ら命を……、そのような最期にまつわる話を聞いていけば、平常心でいることも難しい。
「胸が張り裂けそうになります。打ち合わせ後、まっすぐ帰宅できず、止めた車の中で大声を上げて泣いた経験も一度や二度ではありません。
でも、あるときから、ちゃんと線を引こうと心がけました。僕が一緒に泣いたとしても、ご遺族にとっては意味がない。まして、故人が帰ってくるわけでもない。僕がすべきは、きちんと話を聞いて精いっぱい、いい絵を描くこと、そう考えるようになりました」
絆画を描き始めてから8年余り。これまで、500組以上の絆画を描いてきた。単位が「組」なのは、多くの絆画が故人一人だけではなく、彼を、彼女を、大切に思ってきた家族の姿とともに描くからだ。
そう、大村さんのアトリエに飾られた絆画も、家族の肖像だった。
「わが家にはいま、2人の娘がいますが、本当は第1子として長男を、男の子を授かっていたんです」
絆画を始めた2017年の暮れ、大村さんはイベント会社の部下だった仁望さんと結婚2019年には待望の第1子が誕生するはずだった。ところが同年6月。長男は不意に旅立ってしまう。死産だった。
「看護師さんに促され、小さな亡骸を抱っこしたとき、僕は生涯でいちばん泣いたと思います。そのあとは『息子はもういないんだ』という喪失感と、小さな、本当に小さな骨だけが残りました。
でも、それだけじゃない何か、息子が存在した証しを残してあげたかった。そして、自分にできることは、やっぱり絵を描くことしかない、そう思ったんです」
長男の絆画を、大村さんは2枚描いている。1枚目は亡くなったすぐ後に、もう1枚は次女が生まれたのを機に。
「次女が生まれて、もうわが家にはこの先、家族は増えないと思って。『これがうちの家族だ』という絵を僕が欲しいと思ったんです。
この絵が完成して、やっと家族が全員そろったというか、欠けてしまった大切なピースが埋まったような、満足感を得られた気がしています。
そうそう、男の子って母親に似るというじゃないですか。だから、長男の顔は幼いときの妻に似せて描いたんですが。いま3歳になった次女が、絵のなかの長男に驚くほどそっくりなんです。そんな会話をいま、妻とできるのも、僕はうれしいんです」
そして、こう言葉を続けた。
「先ほど、ご遺族との打ち合わせでは、こちらも胸が張り裂けそうになると言いました。でも、最後の最後、僕の内には温かいものが残るんです。
『こんなに誰かを大切に思えるのって素敵だな、僕もこんなふうに大切に思える、思われる人になりたい』って。500の悲しい別れについてお話を伺いながら、僕は500もの絆に、家族愛に触れることができたと思うんです。
それがあるから、僕は絆画を描き続けられるんです」
