「会長は、僕のすべてをプロデュースしてくれた〝氷川きよし〟を作った人。僕は会長の分身のようなものだと思っています――」

静かに語り始めた若。5月22日、氷川きよしの育ての親である長良グループ会長の長良じゅん氏の本葬が営まれた。

「最初の出会いは14年前`98年の11月のオーディションでした。僕はアルバイトのお金で買った、青空みたいなブルーセーターに白いデニムパンツをはいて。三波春夫さんの『雪の渡り鳥』など3曲を歌いました。会長は『うんうんうん』と聞いてくださって、終わるなり、『うん、よしやろう!』と一言。周りの方たちが『え~っ』とビックリしていましたね(笑)。会長のその一声で、デビューさせてもらったわけですから、今の僕があるのは、会長のおかげです。本当に感謝しています……。会長は僕のことをいつも『きよし』と呼んで、笑顔で、僕のグッズの〝HK〟ロゴが入った帽子をかぶってくださっていました。いつもお忙しくて、なかなかお会いできないですが、今年に入ってからは、長良グループのイベントも含め何度もお会いする機会がありました。それがなかったら、今ごろもっと寂しい気持ちになっていると思います。1カ月半くらい前には、夜12時ごろに少し酔っていらっしゃる様子でしたが電話があって『きよし~俺はお前のこと愛しているからな!』と。『ハイ! ありがとうございます!僕も会長のこと愛しています!』と答えて、すごく会長からの愛を感じましたね」

若には、大切にしている会長の訓えがある。

「『きよし、この仕事は〝ロマン〟がいちばん大事なんだ。歌手は、愛とロマンを伝えていかなくてはいけない』と、学びました。これからつらいこともあるかもしれない。でもこころを大切にして、会長のこころを受け継がれた、ご子息の神林社長と共に何があっても負けずに突き進んで、会長に言われたように、歌の道をまっすぐに歩いて行きたいと思っています――」

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