團十郎さんを偲んで、自宅に弔問客が数多く訪れるなか、海老蔵(35)は涙も見せず、次々訪れる関係者たちに頭を下げ続けていた――。
「若旦那は人が変わったようでした。たぶん、これからは市川宗家の頭領としての自覚を持たなければならないと思ったのでしょう。團十郎さんの生きざまを見て、感情に流されずに『自分も堂々と生きなければ』と思ったようです」(別の歌舞伎関係者)

 実は團十郎さんは3度の白血病を克服した3年前、自宅で本誌の取材に応じた。
その際、長女・ぼたんが治療の経過を記録したノート5冊を見せてくれた。そこには日々の投薬や團十郎さんの状態が細かに記されていた。
彼は室内にある屏風を背にリラックスした口調で丁寧にこう話してくれた。

「今回の闘病を通して、娘や息子が成長したことも感じましたね。2回目の復帰公演のとき、私は“市川團十郎”という名前に負わされた日本文化継承の重さを感じました。もし市川宗家が途絶えたら、地球上にあるひとつの文化が永遠に途絶えてしまう。市川宗家には、歌舞伎を中心に精一杯の努力をする務めがあるように思います。そして何より、倅がこの度、結婚して一戸を構えたということは、ひとつの大きな成長だったと思います」

 海老蔵は、10年7月に麻央と結婚。当時は婚約中の取材だった。家族総出での結婚式の準備、そして海老蔵の精神的な成長を團十郎さんは心から楽しんでいた。

「私は親子で一緒に何かをする楽しみというものがまずなかったんですね。父の死から10年以上して海老蔵は生まれていますから孫の顔を見せることもできませんでした。父は最期に『家のこと』と書き残して亡くなりました。やはり家族のこと、市川家のことがいちばんの気がかりだったのでしょうか。いずれ孫でも生まれたら、亡き父に『あなたは孫を見ることができませんでしたが、私は孫を見ることができましたよ』と伝えたいですね――」(本誌インタビューより)

 これから市川宗家の重責を担うことになる海老蔵。團十郎の不屈の遺志は、親子3代で受け継がれていくはずだ。

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