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「今は、以前から世話になっていた社長の会社で、取締役をやらせてもらっています。このお店は、博多で47年間のれんを守ってきた韓国料理店『田無羅』の大将から“東京でも店を出したい”と相談があり、それならばウチの会社でやらせてもらおうという話になり、先月、開店にこぎつけたんです。来年には、大阪・北新地に20坪の会員制バーも展開する予定です。12年間、俳優をやっていましたが、いまはお店の経営をする側。失敗もすると思うけれど、美容とかジムとか、この会社でどんどん経営にチャレンジしていきたいですね」

 

そう語るのは、今年3月に所属事務所を解雇された山本裕典(29)。

 

あれから7カ月。これが解雇以来初めてのインタビューとなる。話を聞いたのは、山本も準備に奔走して開店にこぎ着けた、港区内にある高級韓国料理店の店内。開店から1カ月がたつが、店は繁盛しているという。

 

「知り合いしか入れない小さな店ですが、もともとウチの会社でバーを経営していました。そこをやったときから、どんどんお店を出して大きくしていこうという目標を持っていました。友達や後輩たちも“手伝いたい”と入ってきてくれて。そこに、この『田無羅』の大将から、弊社であれば“東京で店を出してもいい”という話がボス(社長)にあり、計画してきました。開店後の今は、僕は厨房に入っているわけではありませんが、今も週に1~2回は店に顔を出していますよ」

 

いまもマスコミの注目を集める山本。最近も一部夕刊紙で「バー経営がうまくいかず困っている」などと書かれたが、本人はあっけらかんと笑い飛ばした。

 

「いやらしい話ですけど、正直、経済的にも(引退前と)変わりないです。解雇になったからといって、家を引っ越したりもしていないですよ(笑)。ただ、友達は減りましたね。ふるいにかけられた感じです。今までかわいがってくれた社長さんとかが、手のひらを返したように連絡をくれなくなったり。自分の心の中で“それまでの人だったんだな”と整理をつけました。芸能人としてではなく、自分の人間性を見てもらえるようになって、“いい人たち”だけが残ったんだなと肌で感じています」

 

じつは、今回本誌が山本にインタビューを申しこんだのには理由がある。芸能界で、「来年にも山本裕典が復帰する」という話が流れているのだ。開店に奔走したこの韓国料理店を盛り上げていかねばならない今、“芸能界復帰”は本当にあるのだろうか。

 

「まだ、どうするかとは決まっていないです。相手があっての話ですし、僕が“やりたい!”と言ってドラマに出られるわけではないですから。来年の春で解雇から早くも1年なので、アクションを起こしたいとは思っています。でも、今の仕事を辞めるつもりもないです。僕を救ってくれたここを捨ててまで、(芸能界を)やる必要はないと思っています」

 

浮かび上がる“迷い”――。正直にその気持ちも明かしたうえで、山本はキッパリとこう話した。

 

「でも、復活はしたいというか、しなきゃなと思っています。今、ファンの方に向けてインスタをやっていますが、コメントで10件に1件は“早く帰ってきて”と言っていただいて。先日結婚した弟の奧さんの親からも“復帰しないの?”と心配されました(苦笑)。ファンのため、家族や親戚のため、どんな形でも待っててくれる人がいるんだから“復活しなきゃ”と思っているんです」

 

実際、大手の芸能事務所5社ほどから“復帰”の声がかかっていると明かした。

 

「“うちの事務所に来なよ”と誘ってくれるタレントさんもいますが、自分で言うのもなんですが、僕は“危険人物”ですから(苦笑)。周りに迷惑はかけたくないので、自分で責任を取れるような事務所に入りたいですね。(復帰しても)ドラマや舞台に出るのは、デビュー時よりも過酷な道でしょう。でも、失うものはもう何もないです。どん底は見ました。今はもう何も怖くないですね」

 

みずから“吹っ切れた”と話す山本の表情は、かつての“好青年俳優”から一皮むけた自信に溢れていた――。

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