寂聴さん「私には最後まで愛する人がいた」30年交流の元スタッフに託した遺言
画像を見る 天台寺の法話には境内を埋め尽くすほど聴衆が(撮影:永田理恵)

 

■「コロナで法話の会ができないのがとても寂しい」

 

寂聴さんの法話が最初に『女性自身』に掲載されたのは’89年4月、’87年に岩手県・天台寺の住職に就任した2年後のこと。当初は「まごころ説法」というタイトルで、不定期掲載を経て、現在も連載「寂聴『青空説法』」として続いている。

 

コロナ禍以降は、電話インタビューに切り替え、古今東西の名僧の言葉について解説してもらっていた。

 

最後の電話は10月上旬。鎌倉時代の名僧・兼好法師が書いた随筆『徒然草』について、「いま読んでも面白い」と、さまざまな文章について教えてくれた。「長く話すと疲れるのよ」とは言いながら、寺山修司の詩や、アランの『幸福論』などのことも精力的に語り続けていたのだが、雑談のなかでこんな言葉も……。

 

「コロナで法話の会ができないのがとても寂しい。私は人にお会いして直接お話しすることで元気になるの。法話の会に来てくださる皆さんからいただいていたパワーがなくなっているのかしら。最近は、なかなか小説を書く力が湧いてこなくて……」

 

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