[E:note] 自分で曲を作ったり詞を書いたりしていくなかで、いまのような方向性になったのですか。それとも初めはジャズっぽい感じがあったとか? うりさんの作る音楽にはいろんな要素が入っているように感じるのですが。
うり: 今の音楽性になっていった、いちばん大きい出来事は、三宿で歌い始めてすぐに今のプロデューサーと出会ったことですね。そこから自分自身、音楽の聴き方が変わりましたし、二人でいろいろ探りながら、いちばん私の声が活きるような楽曲作りとか、そういうことに力を注いできました。たまたまライブを観に来てくれていたんですけど、プロデューサーのエスケンとの出会いが大きかったなぁと思います。
[E:note] ほかにうりさんに影響を与えた方がいらっしゃるとか、もしくは、ある場所に行ってインスピレーションを感じた!ってことは?
うり: あの、運良くセンスのいい人たちと、よく対バンをする機会が始めたときからありまして、同世代の人がそうやって同じステージに立って、自分と比べてずばぬけていたりするとジェラシーもありますけど、そういうのがあったからこそ伸びたというか、最初から良い音楽が周りにあったから良かったのかなあと思います。
[E:note] いまも美容師さんは続けていらっしゃるんですよね。
うり: 続けていますが、いまは自分のお客さんに呼ばれたときだけ美容室に行くような形ですね。
[E:note] ステージでは、ビジュアル面も含めたところでのセルフプロデュースが必要というか、観ている方に楽曲に衣裳や髪形、トータル的に一つの作品として見せることにもなりますよね。
うり: そうですね、イメージは大切ですよね。
[E:note] 正直、歌声だけを聴いていたときと、ビジュアルのイメージにギャップがありました(笑)。
うり: よく言われます(笑)。
[E:note] 今年は初のシングル『夕焼け空に摩天楼』にフルアルバム『ケセラ Que Sera』をリリースするほか、全国ツアーもありましたし、とてもお忙しくめまぐるしい1年だったのはないですか? それとも、ご自身はふだんと変わらないペースでやってきたら、たまたまいろいろなチャンスがあったという印象なのでしょうか。
うり: 毎年毎年、予想できないことが起きるなあという感じはあるんですけれども、ツアーは今年2回やって、やっぱり最初のiTunes Storeでの配信がなかったら、きっとこういうCDリリースもなかっただろうし、そうするとツアーにも行けなかっただろうし……。やっぱり、一つ一つの積み重ねがいろいろな形になってきて、徐々に楽しいことが増えている感じですね。
[E:note] 2006年にはフジロックフェスティバルに出演されていますが、あれも何か出るきっかけのようなものがあったんでしょうね。
うり: 一昨年は、CDも出ていなければ、iTunesの配信もしてなくて、誰も私のことなんか知らない状態で出ちゃったんです(笑)。出たきっかけはと言うと、出演するずっと前から、フジロックの『ジプシーアバロン』のステージに応募したら? と人から勧められていたんです。でも、当時は自分の音楽性もちゃんと決まってなかったのもあって、ずっと応募をしなかった。そして、一昨年の夏にちょっと「音楽に専念しよう!」とシフトチェンジをしたときに、またちょうどお声がかかって。で、そのころは音楽性も固まってきて、これは出てもいいなと思えたので、思い切って応募をしてみたんです。たぶんムリだけど、とは言われましたけど、通っちゃったんですよね(笑)。今年の夏のフジロックでは、アバロンよりも大きいステージに出させてもらえました。
[E:note] フジロックでもたくさんの人がうりさんのステージに押し寄せたそうですね。いくつもステージがあると、遠いところに設営されたステージだと観に行くのも億劫になっちゃうんですけど。
うり: 今年がまさにそれで(笑)、遠くて、しかも朝一だったんですよね。お客さんが聴きに来てくれるかちょっと心配だったんですけど、音を出したら寄ってきてくれたので良かった(笑)。フジロックのようなフェスに来るお客さんって、高いお金を出して音楽を楽しみに来ているので、音楽好きが多いなあって感じがしますよね。
[E:clip]明日はいよいよラストです。
[E:pen]中山うり公式ページ: http://www.worldapart.co.jp/uri/index.html