[E:note]デビューまでの道のりはけっこういろいろあったのですか。
MIKU:思い返すといろいろあったよね。
ALISA:最初はとりあえず自分たちでやれることを探して、デイタイムのクラブイベントに自分たちでブッキングしたり、何部かに分かれているイベントの最初のほうに出させてもらえるよう頼んだり、いろいろですね。中学、高校生だった私たちにとっては、ノルマはすごく大変だったんですけど、繰り返しやっていくうちに自分たちでもオリジナル曲をやりたいねって言っているとそれに協力してくれる人が出てきたり、いろんな人に出会うことができました。けっこうイベントに出たよね?
000025_2MIKU:BBOY PARKに行ってから、ダンスとマイクを持つことの差がなくなったんですけど、まだ自分たちで歌を作ったりする術を知らなかったので、まずはダンスのショーからやろう!って考えて動いていたんです。ダンスだったら自分たちで作れるしすぐ行動できるから、それでやっていくうちに、今でも仲良くさせてもらっているプロデューサーの方を紹介してもらうこともあったし、ヒップホップシーンは結構狭いのでどんどん繋がりが増えていって、今の仲間に出会えたんです。

[E:note]そうやっていくうちに、どなたかの目にとまってCDデビューの話がきたということですか。
MIKU:というより、人づてに紹介されて、ヒップホップ好きなんでしょう? みたいな感じでしたね。キッズが日本のヒップホップ界のなかでものすごく重要な役割を担ってきているから、YA-KYIMもプロとしてやっていきたい気持ちがあるんだったらやらない?みたいな。

[E:note]キッズがヒップホップの中でどんな重要な役割を果たすというのはどういうことですか。
MIKU:もともとヒップホップカルチャーって、キッズの遊びから生まれたんですよ。ブレイキンとかも、お金のないブロンクスとかハーレムの子たちが遊び感覚でやっていたことから始まっていて。お金持ちの人たちはそれこそクラブみたいなところに行けたからよかったんですけど、お金のない人たちは自分たちでラジカセやターンテーブルを外につないで、外でブロックパーティというイベントをやりながらヒップホップで遊んできたんです。それで、お金持ちの人たちに「俺らだって一生懸命生きているんだぜ!」っていうのを伝えるために電車にグラフィティとか書いて、お金のない場所からお金持ちの住むところに走る電車にメッセージを託したんですよ。そういうのがもともとのカルチャーだったんですけど、日本にヒップホップ入ってきたころは、アメリカではすでにヒップホップ文化は根付いていたし、それを良いと思った人が、それこそアフリカ・バンバーダをかけてっていうのが大人の世代だったので、最初は大人たちに広がっていったんだと思うんです。ま、結局、ハマったのは若い不良の子たちだったかもしれないですけれども、さすがに小学生にヒップホップが浸透していくことはなくって。

[E:note]でも、そういう大人たちが親になって、みなさんくらいの若い人たちから下の子供たちにもヒップホップがふつうに聴かれる時代になりましたよね。
YURIE:お父さん世代がBBOYとかだったら、ぜったい子供はブレイキンしているんですよ、超うまいんだよね、可愛い(笑)。
MIKU:完全に親がやらせているよね(笑)。早いうちからやると、背が伸びないよ~とか思うんですけど。

インタビューは明日も続きます[E:notes]

[E:note]ヤキームオフィシャルHP:http://ya-kyim.com