画像を見る

’80年代を代表するアイドルの森尾由美さん(56)とつちやかおりさん(58)。現在は、お2人とも孫に恵まれ充実した日々を送っているそう。“おばあちゃん”として森尾さんより1年先輩のつちやさんですが、実はアイドル歌手としても1年早いデビュー。本誌では掲載しきれなかった、当時の思い出をWEB限定で公開!

 

本編はこちら森尾由美×つちやかおり“おばあちゃん”になった80年代アイドル語る孫への愛

 

森尾:私は不作(83年デビュー)なので、聞かないでください、アイドルの話はもう……!(笑)

 

つちや:私はその“花の82年組”の主流からは、外れちゃってるから。

 

森尾:でも、キラキラ82年組じゃないですか。

 

つちや:あまりにも同期が豪勢すぎて、そこに埋もれちゃって。80年代アイドルの土台は、先輩の聖子ちゃんが作ってくれたけど、それを大きく育てたのが、82年組。

 

つちやさんがデビューしたのは1982年。松本伊代、堀ちえみ小泉今日子中森明菜など人気アイドルも数多く誕生したため、その年デビューのアイドルは“花の82年組”とよばれてきた。一方、翌1983年にアイドルデビューした森尾さん含む松本明子、桑田靖子などは“82年組”の活躍と対比され“不作の83年組”と呼ばれることも……。

 

森尾:私は82年組みたいな、フリフリ衣装を着てみたかったけど、差別化を図るために着せてもらえなかったんです。ハイヒールとかも履かせてもらえなくて、バッシュでしたから。思い描いていたアイドル像と、私の売り出し方がかけ離れていたから、当時はやさぐれた感じでやってました(笑)。

 

つちや:私もアイドル曲を歌わせてもらえなかった。制作チームがオフコースさんとか甲斐バンドさん、チューリップさんと一緒で、アルバム中心に売っていくというアーティスト系の売り方で。歌手としては、異端児的なイメージにして、ギャップを作りたかったんでしょうね。でも、私だってみんなみたいにフリフリ着たいーって思ってた。

 

森尾:大人の戦略が渦巻いてて、何も教えられないまま、色々なことが進んでいきました。当時はレコード会社とか、レコード屋さんとかで、手売りもよくやっていました。

 

つちや:地方なんかに行くと、くまなくレコード店を周ったりね。まあ、みなさんが想像する演歌歌手の方達のような営業スタイル。キョンキョンであろうが明菜ちゃんであろうが、みんなそれをやっていたと思う。今は多分、あまりないんだろうな。

 

森尾:移動が大変で、ぎりぎりに夜行列車に飛び乗ったりしていました。

 

つちや:地方で歌うときは、オープンリールのテープにカラオケ用の音を録音して、それを持ち歩いていたんですが、その音源をマネージャーが忘れてしまったことも。母に電話して、東京から名古屋まで届けてもらったこともありました。いまなら、スマホかなにかで、データで送れるんでしょうけど。

 

森尾:とにかく忙しかったけれど、若くて体力があったからなんとかなった。とはいえ、マスコミの目もあるので、遊ぶときは気をつけないといけません。そんなアイドル時代、よく布川(敏和)さんとお付き合いできましたよね。

 

つちや:22、23のときには同棲していて、その頃、ふっくん宛に、由美ちゃんからの留守番電話が入ったことがあったの。

 

森尾:たしかに布川さんとは、いろんな友達と一緒に遊んでたんですよ。

 

つちや:で、それを私がたまたま聞いてしまって……。それを知らないふっくんは、私に黙って遊びに行こうとするわけ。それで「じゃあ、私も行くって」って言い出すと、もうすごい剣幕で「お前は来なくていいよ、男だけの遊びなんだから」って、こんなスピードで走れるのっていうくらいの速さでマンションから出ていって(笑)。羽を伸ばしたかったんだろうな。

 

森尾:今思えば、かおりさんとお付き合いされてて一緒に住んでるのに、よく遊びにきていたなって思うんですけどね(笑)。

 

つちや:あの頃の仲間はみんな恩人。私は結婚してから20年ばかり、家事と育児に追われて仕事をお休みしちゃったりしてたんですけど、(松本)伊代ちゃんだったり(早見)優ちゃんだったりが、ずっと芸能活動を続けて、80年代アイドルのポジションを守ってくれていた。だから、子育てが終わって復帰したときも、私の居場所があったんです。

出典元:

WEB女性自身

【関連画像】

関連カテゴリー: