■「先生は観音様みたい。あのやわらかくてあたたかいハグを」詩人・伊藤比呂美さん(68)
「コロナ禍以前は、2〜3カ月に1回ほど、寂聴先生に会いたくなって、寂庵を訪れていました。私はアメリカでの生活が長かったこともあり、寂聴先生とお会いするときは、いつもハグをさせてもらうんですね。やわらかくて、あたたかくて、小さくて、まるで観音様を抱いているようなんです。叶うことなら、また先生にハグをさせてもらいたいです」
こう語るのは詩人の伊藤比呂美さん。’08年、紫式部文学賞を受賞した後、雑誌の対談企画をきっかけに、寂聴さんとの交流が始まった。初対面で伊藤さんが「ブラジャーをつけ忘れちゃった」と、気づいて慌てたが、寂聴さんも法衣の下からブラジャーを脱ぎとり、お互いノーブラで対談に臨んだという。
「私は何度か結婚・離婚を繰り返し、20年間アメリカに住んでいましたが、親の介護のために日本と行き来したりしていました。そんな私の経歴も面白く感じてくださったのかもしれません」
以降、たびたび寂聴さんのもとを訪れ、さまざまな相談をしたり、話を聞いたりした。
「先生の前では、自白剤を飲んだかのように、なんでも話すことができるんです」
寂庵の近くにある料亭で会食をしたときは、偶然、政治家の野中広務氏と顔を合わせた。自民党幹事長や内閣官房長官として強面のイメージが強い野中氏だが、
「寂聴さんとお会いしたときは、すごくニコニコした笑顔。先生の前では、誰もが鎧を脱いでしまうんでしょうね」
寂聴さんは伊藤さんとの話が盛り上がってくると、スタッフに「赤ワインを持ってきて」と、お酒を楽しむことも多かったという。
「血の滴るようなお肉をごちそうしてくれたことも。法衣ではなくて、派手な柄がプリントされたトレーナー姿で、ワイングラスをくるくると回す所作がすごくかっこよかったのが印象的です」
伊藤さんが新聞紙上で人生相談をしていることも、寂聴さんは自身との共通点と感じていたのかもしれない。
「寂庵で法話を見学していたら、寂聴先生が『今日はゲストがいます。人生相談がお上手なので、今日はこの人に任せます』って、いきなり登壇させられたこともありました(笑)」
思い出は尽きないが、なにより心を惹きつけられたのは寂聴さんが生み出す文学だ。2019年には、高橋源一郎氏、平野啓一郎氏、尾崎真理子氏らを招き「寂聴サミット」を企画したこともあったほど。
「『比叡』や『女人源氏物語』、70代でお書きになった『場所』など、素晴らしい作品ばかりです。ちょうどいまは先生が現代語訳した『源氏物語』を読んでいます。作品にふれることで、先生といっしょにいられます。ただ、ハグをしたときのぬくもりを感じることができないのは……、やっぱり寂しいですね。まだ私の手に残る寂聴先生の感触が頼りです」