■「夢に出てきて、思いっきり私のグチを聞いて!」秘書・瀬尾まなほさん(35)
「瀬戸内先生の写真のそばに置いてある『日めくり暦』をめくって、お香を焚くことから、私の1日は始まります」
寂聴さんが逝去するまで約10年間、スタッフや秘書を務めた瀬尾まなほさん。
「いまさらですが先生の言葉は説得力があり、素直に納得するものばかりです。先生が亡くなってしまってから、より先生が残した言葉が胸に響くようになりました」
特に最近、印象に残った言葉は次のようなもの。
《骨身に沁みてつらいと思う経験も、歳月が経って振り返ってみると、あの時、ああいう目に遭ったからこそ、今の自分があるのだと思えるようなことがあります》
自宅や職場、いたるところに寂聴さんの写真が飾ってあるという。
「寝室には大きなパネルもあるのです。2022年に私が『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に出演したのですが、スタジオで先生の写真をパネルにして使っていて、それを後で送ってくださったのです。朝起きたら、『先生、おはようございます』と挨拶をしています。
そこは“瀬戸内先生コーナー”のようになっていて、写真や先生が作ったかわいらしい土仏や、少し分けていただいた遺骨も置いているのです。だから先生を思い出さない日はありませんね。
それなのに、先生は夢に出てきてくれません。ずっと強く思い続けているのに……。私が育児で悩んだとき、人間関係に疲れたとき、いつもグチを聞いてくれていました。そして『何言ってるの!』と明るく笑い飛ばしてくれたのです。そのおかげで、私も自分の悩みなんて、たいしたことではないのだと思えるようになりました。夢の中で、もう一度先生に思いっきりグチを聞いてほしいと思います」
瀬尾さんは3歳と1歳、2人の男の子の母でもある。
「先生は教育の悩みを聞いたときには『いいところを見つけて伸ばしてあげなさい』と、おっしゃっていました。私も子供たちの“長所”を見つけてあげたいです」
天台寺がある岩手県は寂聴さんのゆかりの地でもある。11月3日から「たくさんの愛をありがとう追悼 瀬戸内寂聴展」が盛岡市民文化ホール・展示ホールで開催されており、初日には瀬尾さんが講演を行った。
「テーマは『寂聴先生との10年間』。私が大学を卒業してすぐに寂庵に就職することになってから、先生と過ごした日々をお話ししました。1時間というと長いようですが、先生との思い出を話しているとあっという間。話している途中、涙が出てしまうことも。
私が最初に講演をしたのは母校でした。先生に『うまく話せるかどうか不安です。いっしょに来てください』とお願いしたら、『大丈夫、まなほならできるから、1人で行きなさい』と、背中を押してくれました。私が大勢の人の前で話すようになるなんて、先生と出会う前は想像もしませんでした。人生を変えてくれた先生は、いまも私の“いちばんの味方”なのです」