8月に同期のアイドルとライブを開催する小林千絵(左)と大沢逸美(写真:本誌写真部) 画像を見る

1983年にアイドルデビューした大沢逸美(60)、桑田靖子(58)、小林千絵(62)、木元ゆうこ(59)、徳丸純子(60)、森尾由美(60)、松本明子(60)ら同期の7人。デビュー後は「不作の83年組」などという不名誉なキャッチフレーズを冠されたこともあったが、「だれか一人が大ブレイクしなかったからこそ、仲よく支え合いがんばれた」と、彼女たちは口をそろえる。

 

2018年には、“おかみさんの風格を持つようになりながらも、心はアイドル”のコンセプトで「お神セブン」を結成、自主企画ライブを開催した。今年は3年ぶり3度目となる自主企画ライブ「83年組アイドル アラ!?還ライブ」を、8月22日に東京・北千住のシアター1010で開催する(徳丸は海外在住のため欠席)。

 

アイドルとしてデビューから43年。いまでは同期の仲間で集まった際にも“介護”に関する話題がたびたび登場するという。今回は、大沢逸美、小林千絵の2人に、彼女たちが直面した親の介護について話を聞かせてもらった。

 

大沢は、私生活ではデビューから7年目に父親が亡くなり、札幌に住む母親を東京に呼び寄せての母子の二人暮らしが始まっていた。2003年には著書『お母さん、ごめんね。』を発表し、芸能人が介護体験などを語る先駆けとして大きな反響と感動を呼んだ。そこには、ドラマ主演から5年後に母親に悪性腫瘍で余命3カ月が宣告され、ひとり娘である大沢が看護と仕事を両立させていた波瀾の日々が赤裸々に綴られていた。

 

大沢逸美(以下、大沢) 当時の私は、Vシネマの主演や旅番組も多かったですから、順調にいっていたときに、突然つきっきりで母の面倒を見なくてはいけなくなって。そんななか、名古屋の舞台でしたが、昔は1カ月公演で休演日もないので、昼1回公演のときだけ名古屋から車で急ぎ自宅に戻って溜まった掃除洗濯して、母をお風呂に入れて、真夜中、またとんぼ返りしたり。

 

小林千絵(以下、小林) ほんまにギリギリの強行軍やったんやなぁ。

 

大沢 母のことは、ずっと葛藤がありましたね。もうちょっと見てあげたいな、やさしくしてあげたいなと思いながらも、自分も仕事が大事だし、生活もあるしで、自分軸でずっときてたわけですよ。そんなことしてるうちにも、ちゃんと恋愛もしてましたし。

 

小林 おお〜っ、やることちゃんとやってんねや(笑)。

 

大沢 特に、母が亡くなるまでの最後の2年間は覚悟を決めて、泊まりのロケを断ったり、仕事自体を少しずつ減らしていくんです。私が頑張るしかなかったというのは、介護保険を利用してみたものの、母がヘルパーさんとの相性が合わなかったりもあって。いま振り返れば、1回で諦めてしまった私たちもよくないんですが、よくあるケースなんですってね。だったら、担当スタッフさんらに相談して次に行けばいいのに、母ファーストになっていて、母自身が「他人が家に入るのがイヤ」となると、あっ、もう母には私しかいないんだと思って、私がつきっきりで世話をしていました。ですから、介護スタッフとの出会いも、何人かとお会いするのは大事だと思います。私の実体験からの教訓ですね。

 

小林 だって、お母さんには逸美しかいないんだもん。

 

大沢 とはいえ、実はもともと気が合わない母と娘だったの。素直にやさしくしてあげられないんですよ。「お母さん、だいじょうぶ〜」って、猫なで声は出せない。だけど、いつも後悔もある。なんで、あのときもっとやさしい言葉をかけてあげられなかったのか、って。以前から口をきかない期間も長かったし。だけど私は一歩外に出れば、大勢の人がいるし、発散する場所もある。でも、母にはすべてが私なんですよ。ただ、その理解をなかなかしてあげられなかった。逆に私は、こんなにしてあげてるじゃない、と。仕事してない時間はぜんぶお母さんに捧げてるし、お金もちゃんと置いていってるし、これ以上なにすればいいのって、ずっと思ってました。

 

当時、かろうじて、私たち母子をつなぐ置き手紙があって。要するに口をきかないから、私が帰ってくると玄関にメモ用紙が置いてあるんですよ。そこを通らないと部屋にはいけないから、必ず目にするわけです。で、最初は見てましたが、小言が書いてあった。「あんた、あれはこうしなきゃ」とか。そのうち、捨てはしないけど、見ないで引き出しにポンと放り投げるようになっていて。面倒くさいという思いと、どっかには申し訳ないという気持ちもあって。

 

小林 ああ、思い出した。唯一、逸美とは同期でときどきごはんを食べたりもしていたんですけども、その介護で大変なときでした。逸美が、「今、お母さんを送ってきたんだけど、時間がないからといって病院の入口に置いて車を出したら、バックミラーにずっと手を降り続ける姿が映って、なんで部屋まで送ってあげなかったんだろう」と、しみじみ言ったんですよ。

 

大沢 千絵のほうがよく覚えてくれてる……。

 

小林 私なんかは当時、まだ親の介護もなくて、それこそ自分のことだけ考えてればよかったですからね。だから、逸美はすごいなと。大黒柱でもあり、お母さんの介護もこなして。

 

大沢 体力はまだ30代でしたから、今より確実にあったわけですが、やっぱり気持ちの面ですよね。ちょうど介護保険が始まった2000年ごろで、区役所にいっても職員さんも「僕たちもよくわからないんですよ」ということも多くて。母は、2002年に要介護3のまま亡くなりました。

 

小林 もともと、お母さんはご丈夫ではなかったんですもんね。

 

大沢 そうなんです。私がデビューしたころから、ずっと生活のサポートが必要で。でも、そんななか、お風呂に入れてあげるときも、慣れてないから二人で湯船に落っこちることも何度かあったりして。体洗うのも、おっぱいも年で垂れてますから持ち上げて洗ってあげたりで、そこまではやらせてくれるんだけど、下半身だけはさわらせてくれない。「ここは自分で洗う」と言うから、「あぁ、最後まで女でいてくれたんだな」と、それは同性の娘としてはうれしいことでしたけど。

 

そんななか、母を抱えて頭を洗っていると、ふと、「あっ、そうか、私も子供のときにこうやって頭を洗ってもらってたんだなぁ」と思うと、今、ちょっと恩返しができてるのかなって。ですから、そういう裸のふれあいといいますか、母とは心情的にも複雑な思いもあったけど、その介護の時間があったから距離も縮まったというのはあると思います……。あら、隣で泣いてます。

 

ふと横を見れば、お神セブンのなかでもいちばんの陽気キャラの小林が涙している。そこへ、ティッシュを持ってきたのは、小林の夫でもあるマネージャーの男性だった。

 

大沢 ほら、拭いて拭いて。いまは、千絵のところも大変でしょう。

 

小林 うちの母は岡山で一人暮らしですが、兄がそばにいてくれるのでね。ただ、もう94歳で、10年くらい前から「私もうダメ、死ぬ」で、死ぬ死ぬサギと言ってます(笑)。いよいよ、ちょっと弱ってきてるかなという感じはありますね。でも、逸美の話を聞いてたら、覚悟が違いますよね。今まさに、お神セブンのメンバーの多くも、親の介護と直面してますからね……センパイ、これからもご指導お願いします。

 

大沢 たしかに私は、みんなよりいろんな経験が早いかもね。普通は生活のなかで何か行動するとき「やらねばならぬ」ですが、うちの母が、布団を干すのに階段を上がって、今度は抱えて降りるときに、ズルズル引きずりながらでしたが、「やらねばならねばならねばならぬ」と言いながらやってました。私に頼めばいいのにねえ……。普通は「やらねばならぬ」ですが、ユーモアも込めて「ほどほどにやんなさい」という言葉を残してくれたんです。私、何事でも、つい一生懸命になるんだけど、ときどき、この母の言葉を思い出しては、ああ、ちょっと力を抜かなきゃいけないなぁ、と自分に言い聞かせてます。

 

小林 「やらねばならねばならねばならぬ」やね。うん、いい言葉やねえ。私たちのライブも、「やらねばならねばならねばならぬ」!

 

8月には、お神セブンの「83年組アイドル アラ!?還ライブ」があるが、大沢はまさに、今年3月に還暦を迎えたばかり。一方、小林はひと足早く還暦をすませているが、最近、もう一つの人生の大きな節目を迎えたという。

 

大沢 私の父は還暦を迎える前に亡くなっていますから、自分が還暦をむかえられたのはそれなりに感慨はありますね。ただ、還暦前にはちょっと焦りもありました。こんな自分でいいのかなって。でも、いざ誕生日当日になるとフッと力も抜けて、まあ、私は私でいいんだ、これからは自分軸をちょっと大切にしていこうかな、と思えた。いま、SNSなどの大量の情報をつい見すぎちゃって、まわりと比べちゃう。そうすると、ああ、イケてない私がいるとなるから、ときどきデジタルデトックスして人と比べないよう、常に自分に言い聞かせてます。

 

小林 うちはね、もう私の還暦は終えてますが、家族の節目としては、あの手のかかっていた息子が社会人になりました。

 

大沢 還暦同様、おめでたい。それで、初任給で両親に焼き肉をご馳走してくれたんでしょう。

 

小林 安いとこでしたけど(笑)。特別な味でしたね、息子におごってもらったというのは。十代の反抗期は大変なけんかもしてきましたけど、社会人となって世間の厳しい風にも当たって変わりましたね。公務員になったんです。芸能の世界にいる両親を見すぎたのかな、とも。正直、私は男の子にはもっと夢を追ってほしかったし、そうして夢を追っている息子を、それこそ「おかあちゃんを見てみぃ。逆境こそ、人生のガソリンやで」と言って応援したかったんですけども。今は、息子の選んだ道は全力で応援してます。結婚も遠そうだしね。まだ一度も彼女を紹介されたことがないんです(笑)。あの子の彼女に会えるときまで、とにかく元気でいなきゃね。逸美は、健康法は?

 

大沢 私はジムにも通っていませんが、朝のテレビ体操だけはずっと続けています。いわゆる25分間のラジオ体操で、コロナ禍以来の毎日の習慣。食事は、ふだんはパン大好きなんですが、舞台に入ると米ですね。体力に声量も使うので、お腹に力を入れるにはやっぱりごはんです。それと、お味噌汁もちゃんといただく。

 

小林 私が心配なのは体力より、ココ(頭)ですね。物忘れが激しいし、不注意が増えましたよね。頭にのってたカチューシャを老眼鏡と思って目の前にもってきて、真っ暗になって大騒ぎしたり。

 

大沢 アハハハハハ。

 

小林 これを乗り越えるには、もうまわりに頼るところは頼る。メモしたり、家族や友達に、「ねえねえ、これをここに置いておくから、私が忘れたら言ってね」と。今度のライブに向かって、歌詞も頑張って覚えていかないと。若いころは、すぐに覚えたよね。最近は自分の歌でも、忘れかけたり。それでも昔は、一瞬でごまかして作ってたから(笑)。今は咄嗟のフォローもできないから、今度のライブでデビュー曲を歌うときも、本番前に袖でブツブツ歌詞を唱えないと。

 

大沢 怖いわ(笑)。けど、準備しておけば安心だね。

 

小林 思うのは、デビュー35周年のときはそこまで考えられなかったけど、60を過ぎたら、やっとこさ、人のために動けるようになったんですね。これからは、もちろん自分もがんばりますが、夢は、みんなで何かやりたいですね。こないだも逸美と相談したんだけど。

 

大沢 お神セブンでレストラン!

 

小林 レストランやシェアハウスもいいし、私、脚本も書きますから、みんなでミュージカルとか。若いときは、ピンでみんなで競い合ってやっていたけど、今は全員が思いやりをもっていて、この仲のよさ、絆だけは金賞だな、と。

 

大沢 人生のいろんなことを乗り越えての、いよいよ来月はアラ!?還ライブです。今回は、お客さまを巻き込む感じでと思っています。

 

小林 お客さまともステージと客席じゃなくて、同じ高さという気持ちで。83年組は、手の届くアイドルどころじゃないです、こっちが手を伸ばして引っ張る意気込みですから(笑)。

 

大沢 私たちお神セブンは、最初の付き合いから、ずっと歳月を重ねてきているので、互いの心のなかも見えてきて、よりかけがえのない存在になってます。その絆も感じていただきたい。

 

小林 今回はアメリカ在住の純子がお休みのため6人で出演ですが、「7人目は会場のみなさんですよ」の思いでやりたいと思います……。

 

えっ、もう、この対談の終了時間ですか。まだ、ぜんぜん話し足りないね(笑)。でも、はい、最後にツーショット撮影ですね。

 

大沢 なんだか、改まって、こうして2人並んでだと、照れちゃうよね。

 

小林 写真は、ちょっと横向いたほうが細く見えるからね、私は斜めでお願いします。そんで頑張って息止めて、おなかのお肉をギュッと絞ってな(笑)。

 

大沢 うん。この明るさと元気で、アラ!?還ライブもみんなで乗り切ろう!

 

固い絆で結ばれた彼女たちが、ステージで躍動する姿が楽しみだ——。

画像ページ >【写真あり】当時の顔が初々しい「83年組アイドルアラ!?還ライブ」のイベント告知(他2枚)

出典元:

WEB女性自身

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