1983年にアイドルデビューした大沢逸美(60)、桑田靖子(58)、小林千絵(62)、木元ゆうこ(59)、徳丸純子(60)、森尾由美(60)、松本明子(60)ら同期の7人。彼女たちは、中森明菜(60)や小泉今日子(60)、早見優(59)、堀ちえみ(59)ら多くのスターを輩出した、「花の82年組」と、デビュー直後から活躍した菊池桃子(58)や荻野目洋子(57)ら「個性の84年組」の狭間で、「不作の83年組」などという不名誉なキャッチフレーズを冠されたこともあった。
しかし、「だれか一人が大ブレイクしなかったからこそ、仲よく支え合いがんばれた」と、40年以上にわたりさまざまなジャンルで個性的な活動を続けながら、いつか“おかみさん”の風格を身につけたこともあり、いまや「お神セブン」と呼ばれ、改めて注目を集めている。彼女たちは、自らが企画し、8月22日に東京・北千住のシアター1010で開催される「83年組アイドルアラ!?還ライブ」(徳丸純子(60)は海外在住のため欠席)を開催。そんな結束力の原点にある“不遇の時代”について、今だから明かせるエピソードを、松本明子と木元ゆうこに振り返ってもらった。
松本のデビュー曲は『♂×♀×Kiss(オス・メス・キッス)』で、キャッチコピーは「アッコ、とんがってるね」(オリコン131位)。いっぽうの木元は『チェリーガーデン(桜の園)』で、「ときめいて、謎めいて16歳』(124位)だった。
松本明子(以下、松本) よく、みんなで話すのは、私を含めて5人がオーディション組で、ゆうこと(森尾)由美がスカウト組。デビューしたときから、ちょっと温度差があったよね。
木元ゆうこ(以下、木元) たしかに、「由美とゆうこは、ちょっとサラサラしてる」って、言われてました。オーディション組は、誰もが熱い感じがあるんだけど。私は、15歳のときに母に連れられていった武道館でのザ・タイガースのコンサートで、レコード会社のディレクターさんにスカウトされたんです。
松本 由美も、レコードデビュー前に雑誌でスカウトされていたんだよね。
木元 芸能界でお仕事するという実感もないまま、いきなり歌、踊りのレッスンから始まって、衣装を作ってもらったりで、生活がガラッと変わったので。デビュー前の中2のときは不登校で、やさぐれていた時期でもありましたから(笑)、中3から1年未満の間に生活がガラッと変わってしまったんです。山口百恵さんの大ヒット曲を手がけた阿木燿子先生と、スタ誕の中村泰士先生に曲を作っていただいたのに、それがどんなすごいことかというより、生活環境の変化のほうが私には大きくて。いまだから言えるけど、歌詞の意味を理解できなかったとか、デビュー曲が売れなくても最初はこんなもんかなぁ、とか思ってました。
松本 いや、ある意味、冷静ですよね。私なんて、絶対にオーディションに合格して、故郷に錦を飾るまで帰れない!と、まさに決死の覚悟でしたから。当時、日本中の女子が聖子ちゃんカットにしてて、私も憧れて、聖子ちゃんみたいになりたいと四国から出てきたんですけど。オーディション番組「スター誕生」に受かって、やっとデビューできるんだ、きっと『そよ風のおとめ』とかそんなかわいいタイトル曲でデビューだ、フリフリのかわいい衣装で歌えるんだと思ってて、出てきたのが『オス・メス・キス』という、それも記号のタイトルで、ひっくり返りました(笑)。
木元 この曲も、作詞が森雪之丞先生に作曲が後藤次利さんという、錚々たる制作陣だよね。
松本 そう思うと、82年までにフリフリのアイドルは出尽くした感があって、時代的にそれからはバンドやロックブームになるんじゃないかという風潮があったみたい。これまでとは違う路線でという事務所の考えもあったんでしょうが、やっぱり田舎から出てきたばかりの私は、その波にも乗れず。アン・ルイスさんのスタッフが衣装なども考えてくれたんですがね。キャッチコピーの「とんがってるね」はいいんだけど、とんがりすぎちゃった(笑)。
木元 みんな、だいたい2年目でシフトチェンジして、大人っぽい曲になったりするはずなのに、一つ前の82年組がどんどん売れ続けていて、私たちには、もう隙間なし状態。
松本 アイドルも飽和状態で、歌番組や賞レースも多かった。だから、もう生き残るだけで大変。さすがの私だって、なかなか売れずに、事務所にもレコード会社にも申し訳ないという思いがあって。アイドル時代に3枚のレコードを出したんですけど、次を出しても売れる自信もないし、レコーディング・ディレクターに「もうけっこうです、新曲を出していただかなくて」と手紙を書いたこともあったなぁ……。
木元 えーっ、ホントに!? 16歳でも、大人びた考えをしていたんだね。
松本 “レコード打ち止め嘆願”の手紙を。経費がかかったりするんじゃないかって、子供ながらに気ぃ使っちゃって。いや、複雑な思いでしたね。
木元 私の場合は、まわりの大人に流されて、ただついていくだけでいっぱいいっぱいだったんで。一応、大型新人アイドルって出されちゃったけど、その重みさえ感じてなくて、目先のことしか考えてなかった。ピンクレディーさんと同じデザイナーさんに、彼女たちと同じダブルスパンコールをオートクチュールで作っていただいたことも。なのに「恥ずかしくて着られない」とか、「すぐ次のを作ってほしい」とか。なんて生意気なと思うけど……。今度のアラ!?還ライブは、その2着目に作っていただいたものを着るんですけども。私は先を見ずに、その場だけで自分の気分を表してしまうような、そんな生意気なアイドルでした。
松本 まだ十代だもん、仕方ないよ。
木元 そんななか、82年組の先輩とのよい思い出も。中森明菜さんとのエピソードが1つありまして。『8時だよ!全員集合』のエンディングのときに、公開放送ですから、そこで前に出ないと画面に映らないんですが、私はけっこう引っ込み思案で、事務所からは「前へ前へ」と言われてたんですけど、できない性格だったの。そのときも、明菜さんのうしろの肩のあたりにいたんです。そしたらね、明菜さんが振り向いて、「前に行きなさいよ、そこじゃ映んないわよ」って、押し出してくれたの。それで、トコトコトコとステージの際までいきそうになったっていう(笑)。そんなこともあって、いまでも明菜さん、大好きです。
松本 私はもうデビュー翌年に、言っちゃいけない4文字言葉の“騒動”がありましたから……。
木元 そうか、デビュー翌年かぁ。
松本 早くも翌年なのよ(笑)。自滅しちゃって、謹慎生活に入って、仕事もなくなって。で、堀越の芸能コースでは、一応アイドルなのに皆勤でした。
1984年の正月早々、松本は、テレビの本番中に放送禁止用語を叫ぶ、いわゆる「四文字事件」を起こして謹慎生活に入ったのは、いまでは有名な話。
松本 国立にあったナベプロ(所属事務所のワタナベエンターテインメント)の寮から、堀越学園へ通学してたんだけど、売れない自分が恥ずかしくて、国立駅のベンチで時間をつぶしたり。芸能コースでも私は皆勤賞で、生徒会や修学旅行も参加でしたけど、そのぶん、すでに売れっ子でなかなか教室にいられなかった同い年の堀ちえみちゃんや早見優ちゃんに自主的にテスト範囲をまとめて渡したりも。その寮を、売れた人から巣立っていくんだけど、私と、寮で飼ってた雑種の犬だけが最後まで残ってましたから。
木元 アハハハハ。
松本 寮長も、「早く出ていってくれ」と言うんだけど、一人暮らしができる給料に満たないんですもん。だから5万円くらいのアパートを探して。寮生の出世頭だったヒデちゃん(中山秀征)のいた中野のアパートの近くに住もうと思って。その後、ヒデちゃんの声かけで「バラエティ班で一緒にやろうよ」となるんだけど。でも、謹慎になって、四国のお母さんにSOSの電話したら、「よかったわね。名前売れて」と。もう泣いちゃったわよ、私。「これからは歌以外でもがんばんなさい」と言ってくれたのは、今も忘れない。
およそ2年間の謹慎生活のあと、松本は元祖バラドルとして人気番組の『DAISUKI!』や『電波少年シリーズ』(いずれも日本テレビ系)などで活躍していく。いっぽう、木元は女優業やグラビアなどアイドルからの脱皮をはかるが、思うように活動できず、アジア放浪生活の果てに芸能界を引退状態となるなど、同期はそれぞれの道に分かれていった。
松本 歌ではなくなったけど、バラエティの世界でみなさんが喜んでくれたり、応援してくださるので、がんばろう、と思えました。『グッドラック』(日本テレビ系)など、ドラマの主演もしたりで。
木元 あっこは、そのドラマで旦那さんとのご縁もできるんだよね。私は、18歳で「樹本由布子」に改名して再デビュー。アイドルからお芝居を始めて映画やドラマなどにも出演するんですが、なかなか納得いく仕事ができず……。同時に、雑誌の巻頭グラビアなども飾らせていただいたんですが、やっぱりどうしても露出の多いお仕事がイヤで。そんな状況が続いた果てに、ちょっと心病んだようにもなって、インドに行くんです。坊主頭にもなったなぁ。
松本 坊主にも……。いわゆる行方不明状態だったんだよね。
木元 捜索願が出たり、死亡説まで出たりで(苦笑)。そのとき、インドやトルコをバックパッカーで放浪してたんです。気づいたら、2年8カ月も経ってた。そのまま引退状態となるんですが。帰国してから、テレビで同期の活躍も見てましたね。あっこのドラマを観てたら、続いて(徳丸)純子のCMが流れたりで、ああ、活躍してるなぁと。うらやましいより、同期として誇らしい気持ちがありました。
松本 結局、何年、芸能界から遠ざかっていたの?
木元 21年間。長らく一般の生活をしてましたから、芸能界の誰にも会わずに。その後、純子らとの出会いもあって復活しますが、なかなかお仕事に出会えませんでした。長すぎるブランクのあと、もう元のようには戻れないのかもしれないとか、不安で泣いたり迷ったりの気持ちを抱えていた時期も。
松本 なんで、純子とはつながっていたの?
木元 純子は、やっぱり私を探してくれてたの。これも、やっぱり不思議な偶然で、私の中学の同級生を介して、フェイスブックで。
松本 フェイスブックかぁ、SNSさまさまだね。
その後、再び集結し、今年8月には記念ライブを開催する83年組。彼女たちの“絆”が織りなすパフォーマンスに注目だ。
画像ページ >【写真あり】当時の顔が初々しい「83年組アイドルアラ!?還ライブ」のイベント告知(他4枚)
