■“成年の記者会見”は3月中に実施か
静岡福祉大学名誉教授で歴史学者の小田部雄次さんはこう話す。
「昭和天皇の名のもとに始まった先の戦争が国民にもたらした苦難の歴史を忘れずに継承していくことは、皇室の基本的な姿勢となっています。たとえば上皇ご夫妻は、軽井沢の大日向開拓地を切り開いた引揚者の壮絶な苦労に寄り添い、ご交流を長年続けられています。
戦後80年となる今年、戦争の記憶と記録を継承する人々に、若い悠仁さまが接することは大切なことです。しかし悠仁さまのご発言からは、事前の学びが不足していると感じる声が上がっても無理はないと思います。
引揚者の戦後の生活などについて、今を生きる国民の関心が高まるようなご発言が悠仁さまからあったほうが、ご視察の意義がより大きくなったはずでしょう」
それにしても、なぜ多くの受験生にとって気が休まらない時期のご訪問になったのか。そこには紀子さまのある思惑が背景にあると、宮内庁関係者は指摘する。
「3月中には、悠仁さまの成年に際した記者会見が調整されています。国民の多くが称賛し、感動した愛子さまの成年会見のように、紀子さまも悠仁さまの記者会見を成功させたいとお考えのようなのです。こうした事情から、“舞鶴ご訪問は会見で話す題材を補強するためか”と囁く声も聞こえます。
さらに春には、加冠の儀など成年に伴う儀式も控えています。悠仁さまのご成年を華々しいものとし、記者会見と併せて皇嗣家のイメージを回復する端緒とするため、紀子さまは意気込まれているようにお見受けしています」
その結果、拙速の感が否めない形となってしまった舞鶴市ご訪問。紀子さまのご焦慮が、悠仁さまへ向けて吹く逆風を強めることにならなければいいのだが――。

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