■「あなたじゃなくてお母さんを呼んで」悔しくて、化粧品の知識をたたき込んだ
1985年4月、販売員として店に立った桂子さんだが、当初は思うように化粧品が売れなかった。
「販売員なんて、お客さんが欲しいといった商品を差し出せばいいと高をくくっていました。でも、ファンデーションの色を選んで差しあげないといけないし、自分と肌質も違うお客さんにどの商品を薦めればよいかわからない。忘れもしないのは、汗だくになって働いていたら『あなたが使っている以外のファンデーションをちょうだい』とお客さんに言われたこと。買いたくない、と思わせるくらい、化粧がぐちゃぐちゃだったんでしょうね」
帰郷して改めて感じたのは、母・伴江さんのすごさだ。
「母は、本当にキレイな人でした。ふわりとした雰囲気をまとい、まだメークが浸透していなかった時代に“この化粧品を使ったらこうなります”というお手本のような存在で、『あなたのつけている口紅をいただくわ』と言われていた。もう、売りに売っていました。それに加えて顧客の名前は全員覚えていて、1年ぶりに来るお客さんでも、お店に入った瞬間に、『ゆうこさん、よく来たわね』と。名前で呼ばれたら、大切に扱われているとお客さんも感じるし、安心して化粧品も任せられますよね」
乳がんを患っていた伴江さんだが、桂子さんが帰郷したとたん体調もよくなり、母娘で店頭に立つことになる。化粧品の販売は桂子さんに任せて、母は漢方薬の販売に専念していたというが──。
「『あなたじゃなくて、お母さんを呼んでくれない』と何度も言われましたよ。それからですね、勉強を始めたのは。綾の世話は母や祖母に任せて、化粧品の知識を一から勉強し、化粧品メーカーが行う勉強会にはハシゴで出席。母が作っていた顧客台帳を見て、お客さんの名前、どんな商品を使っているかを暗記。なにしろお客さんの多くは『いつもの化粧水ちょうだい』とやってくる。その商品をパッと出せなかったらもう来てくれませんからね」
その努力のかいあってか、販売員になって9年となる1994年、新見銀座商店街の本店と少し離れた場所に支店(現在の店舗)を展開すると、その店は桂子さんに任せられた。認定エステティシャンや毛髪診断士の資格を取得していた桂子さんは、ヘアスタイリング剤で日本一の売り上げを達成し、表彰されるほどの実力となっていた。
「2位、3位は横浜と京都の百貨店でした。まさかこんな田舎の店が1位をとれるなんて、もうびっくりで。来店するお客さんの数では、デパートやドラッグストアなんかには太刀打ちできません。でも、やり方を工夫すれば、確実に商品が売れると確信したんです」
大手チェーンのドラッグストアが新見市にも進出してきたなか、桂子さんは母とは違う接客法を見いだしていく。特に力を入れたのが客のリピート率の向上だ。
「接客したお客さんには、毎回、必ず手書きのはがきを送ります。専業主婦だったとき、娘の洋服を買ったお店からお礼状が届いたことがあって。『あのセーターを着た姿を見せに来てください』という一文がすごくうれしくて、何度も通ったことがありました。私もお礼状には『お買い上げいただいた口紅、きっと似合っているでしょうね』『ご旅行いかがでしたか』などの文を添えますね」
このはがきは、今でもなんと年間2万通を送っている。はがきやそれに添えられるシールも、梅雨なら紫陽花、夏なら金魚など、季節感は欠かさない。不思議なもので、お客さんの顔を思い浮かべてはがきを書いていると、「その方は何が好きで、欲しいのだろう?」と、些細なことでももっと知りたくなった。
「気持ちは恋に似ています。女心をつかむには、女である私が、女性に好かれることも必要ですよね。身なりやメークは派手でもいけないけど、汚かったら絶対にだめ。私はかつての母のような、『桂子さんのようになりたい』という憧れの存在ではなく、女が女を口説くつもりで売っていこうと」
今、彼女が座るカウンターの下には、約3千人分の顧客台帳が並んでいる。母の「お客さんの名前を呼ぶ」接客を受け継ぎ、その3千人の顔と名前はほぼ一致する。そのために、表紙の裏には、お客さんの顔写真。台帳には購入履歴はもちろん、好みの色や趣味、家族構成、ペットの名前などが記されている。取材中も、毎日店に届く地元紙を見ながら、
「今度全国大会に行く野球チームのメンバーが載ってるわね。あら、これは●●さんのお孫さんだ。とっておかなくちゃ」
と、これまた顧客台帳にスクラップしていた。地元紙のチェックは毎朝の日課だという。さらに、売るだけでは終わらない接客方法も生まれていった。
「たとえば、うちでは40gで12万円する高級エイジングケアクリームも売っていますけれども。奮発してそれを購入してくださった方の多くは、本来3カ月で使い切るものを、チビチビ3年以上も使い続けている。『あんた、そんなんじゃ効くものも効かないよ』って。でも、どれだけ使い方を伝えても、高いクリームは『もったいない』と思って使えない。
そこで、『クリームは店でお預かりします。代わりに2週間に1回、うちに来てください』と伝えて、エステに来ていただくようにしました。キープしたクリームをより効果の出る方法でつけて差しあげるようにしています。結果が出ないものを買っていただいては、申し訳ない。何よりお客さんの肌も心も満たされませんからね」
売って終わりではなく、お客さんに効果を感じてもらうための美容指導やカウンセリング、時に叱咤激励を徹底したのだ。
さらに、“奥さまごころ”を知り尽くしたこんなエピソードも。
「以前、『トワニー』の商品開発に携わり、意見を言う機会がありました。その際『化粧品の瓶に値段を書くのはやめてほしい』と進言したんですよ。夫のお金で買っている奥さま方はやっぱり見られたくない気持ちがある。もし数万円の値段が瓶についていたら、旦那さんもびっくりするでしょ」
そうした桂子さんの接客術を学ぼうと、次第に全国の化粧品店や商工会議所から講演依頼が届くようになった。ふだんの接客に加えて、多いときは年に10回出張。2012年に著書『牛に化粧品を売る』を出版すると、ますます依頼は舞い込み、一躍カリスマ販売員となる――。
(取材・文:山内太)
【後編】〈人がキレイになる過程が何よりの喜び〉72歳カリスマ美容部員が41年間の接客で感じた“美容のパワー”へ続く
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