「更年期は閉経前後の約10年間、個人差はありますが、一般的には45〜55歳を指します。まだまだ若くはありますが、加齢によって体内の老化が進むのは確か。女性ホルモンの分泌や排卵を行う卵巣の機能も、当然ながら低下してきます。しかし、ホルモンの司令塔である脳は“サボるな!”と、以前にも増して強い指令を送ろうとするため、オーバーワークしてしまうのです。特に脳の視床下部は、ほかのホルモン分泌のコントロールや体温調節、呼吸、精神活動などをつかさどる、いわば自律神経と免疫系の中枢です。ここがオーバーワークすると、体のさまざまなところに影響が出てきます。たとえば、感情のコントロールができず気分が上下する、風邪をひきやすくなる、じんましんが出るなど……これら“自分が自分でなくなる感覚”がいわゆる更年期障害と呼ばれる症状の一例です」
そう語るのは女性の心と体の悩みに詳しい、産婦人科医の池下育子先生。更年期に入り、自分の意思とは裏腹に起こる“イライラ”症状に人知れず悩んでいる女性は多い。気分が高ぶり冷静な行動がとれない、攻撃的になり周囲の人にきつく当たってしまうなど、日常生活に支障をきたすケースも珍しくはない。それらはホルモン低下に脳が惑いつらい症状を引き起こしているのだという。
更年期特有の女性のイライラはある意味、自然な老化現象ともいえそうだが、症状が強い人、そうでない人との違いはどこからくるのだろう。
「更年期特有の症状は、(1)体の健常性やホルモンの変化の度合い、(2)心理・性格的な要因、そして(3)環境の3つの要素が複雑にからみ合って生まれます。だから、人によって時期や程度はまったく異なるのです」と池下先生。じつは、先生自身も40代直後から4年近く、重い更年期障害の症状に苦しんでいたという。
「離婚調停とも重なり、心身ともに追い詰められていた時期でした。激しいかゆみを伴う湿疹が出て、全身をかきむしって血だらけになったり。生理も止まり、抑えられない感情を持て余し、消えたいと思うこともありました……。お肉もお酒も絶ち、“更年期にいい”といわれることをすべて試してみましたが、状況は悪化するばかりで、日に日に増す絶望感にさいなまれていました。これが更年期障害だと理解したのは、だいぶたってからのことです」
当時は仕事に行くのがやっとの生活で、日にも当たらず、運動もせず、免疫力は落ちていくばかり。大好きだった食べることからも久しく遠ざかり、10キロも体重が減ってしまったという。そんななか、希望の光が差し込んだのは、ある出来事がきっかけだった。
「ある日、“もうどうなってもいい!”と開き直って、封印していた大好物の焼き肉を食べ、ビールもたっぷり飲んだら、急に不思議なくらい体の調子がよくなったんです。“おいしい!”と感じたとたん気持ちも前向きになり、ストレスからパッと解放された気がしました。そして、自分は“生きている!”と実感することができたんです。ほどなく症状は落ち着き、再び自分の人生を取り戻すことができました」
以来、好きなものをおいしく楽しく食べることと、心のケアの深い結びつきに着目するように。それが池下流の「食べて自分を癒す」フードセラピーだ。
「更年期障害からくるイライラの解消というと、どうしてもホルモンバランスの改善ばかりに意識がいきがちですが、もとをたどれば脳のオーバーワークが引き起こすコントロール機能の乱れなわけです。だから、脳にアプローチする食事で脳を癒してあげることは、非常に重要です。具体的には、人間のもつ五感をフルに働かせて脳の動きを活性化させること。脳は五感が刺激されると、本来の働きを取り戻そうとします。その意味でも“食べる”という行為は有効ですし、食べるだけでなく、食べるものを“作る”行為も、弱った心にいつしか生きるパワーを与えてくれます」
池下先生が提案する「食べるセラピー」に、難しい決まりや節制はない。五感を研ぎ澄ませながら“心を動かす”ことを意識して、“作る”から“食べる”までの過程を楽しみ、慈しめばいいのだ。
自己肯定感が弱まり、自分を責めてしまいがちなときは、“食材が形を変えて料理になる”調理法がおすすめ。「私もパン作りにはずいぶんと助けられました」と池下先生。そこで、弱ったメンタルに必要な「達成感」を味わえるレシピを、管理栄養士・料理研究家の金丸絵里加さんが紹介。
■フライパンで焼く「ちぎりパン」
【材料/20cmフライパン1枚分】
A(小麦粉〈振るっておく〉…200g、ドライイースト…3g、砂糖…15g、塩…小さじ1/2〈3g〉)
牛乳(人肌に温めておく)…150ml
バター(室温に戻す)…15g
【作り方】
(1)ボウルにAを入れて混ぜ、牛乳を加えてよくこねる。さらにバターを加え、10分ほどこねて生地をまとめる。
(2)大きめのボウルにサラダ油〈分量外〉を薄く塗り、1を丸めて入れる。ラップをして35度の温かい場所に30分ほどおき、2〜3倍にふくらむまで発酵させる〈一次発酵〉。
(3)生地を取り出して軽くガス抜きをする。12等分して、空気を抜きながら丸め、閉じ目を下にして、かたく絞ったぬれぶきんをかけて15分ほどおく。
(4)生地をきれいに丸め直し、オーブン用シートを敷いたフライパンに閉じ目を下にして均等に詰め入れる。ラップをしてひとまわり大きくなるまで温かいところで発酵させる〈二次発酵〉。
(5)ふたをしてごく弱火で15分ほど焼き色がつくまで焼き、裏返して同様に焼く。
【調理のポイント】
フライパンは、熱伝導率のよい厚手のタイプを使用。さらさらの小麦粉が発酵を経て、ふっくらしたパンに形を変える工程を楽しんで。
■ひよこ豆のフムス
【材料/作りやすい分量】
ひよこ豆(乾燥)…150g
A(白練りごま・オリーブ油…各大さじ2、レモン汁…大さじ1、クミンパウダー…小さじ1/4、塩…小さじ1/2、おろしにんにく…1片)
ミント…適宜
バゲット(薄切り)…適量
【作り方】
(1)ひよこ豆はたっぷりの水にひと晩ひたしておく。
(2)1をざるに上げて水けを切り、鍋に入れる。豆の3倍量の水〈分量外〉を加えて火にかけ、沸騰したら弱火にしてやわらかくなるまで1時間ほどゆでる。ざるに上げ〈ゆで汁50mlはとっておく〉、薄皮をむく。
(3)2とAをフードプロセッサーに入れ、なめらかに攪拌する。
(4)器に盛り、刻んだミントを散らす。好みでバゲットを添える。
【調理のポイント】
かたい豆がなめらかに変身。じっくりゆでるうちに心が整うことも。抗酸化作用の高いオリーブ油は、エキストラバージンを使って。
■イカめし
【材料/2人分】
スルメイカ…2杯
米・もち麦…各40g
A(しょうゆ・みりん…各大さじ1/2)
B(〈煮汁〉酒…1/4カップ、砂糖…大さじ2、しょうゆ…大さじ1と1/2、みりん…小さじ2)
【作り方】
(1)イカは足とわた、軟骨を取り除いて、きれいに洗って水けを拭く。足は粗く刻む。
(2)米ともち麦は混ぜて洗い、水けを切ってボウルに入れる。イカの足、Aを加え混ぜる。
(3)イカの胴に2を詰めてようじで閉じ、フォークで数カ所刺して穴を開ける。
(4)鍋にクッキングシートを敷き、3を並べ入れ、Bとかぶる程度の水〈分量外〉を加えて強火にかける。煮立ったら弱めの中火にし、落としぶたをして40〜50分煮る。
(5)イカめしを取り出して器に盛る。残った煮汁をとろみが出るまで煮詰め、上からかける。
【調理のポイント】
手でさばけるイカは、自分で下処理する達成感を味わえる。肝臓の働きをよくするタウリンも豊富なので、積極的にとりたい食材。
「更年期を迎えたからといって、自分が女性として終わったわけではけっしてありません。むしろ、新たなステージへと進むために、体がサインを送っていると前向きにとらえていきたいもの。食べることで心も人生も豊かにし、イライラともうまくつき合っていけるようになるといいですね」(池下先生)