ここから私のパンダ人生が始まりました。当時はパンダという名前すら、存在すら、日本に住む私には入ってきていませんでしたので、単なる白と黒の漫画みたいな模様だとずっと思っていました。私が持っているこの白と黒のユニークな模様のクマがデザインではなく、生きて存在すると知ったのはもう少し先のことでした。
パンダについては、調べたくても資料がありませんでしたが、研究は細々と続けました。パンダという名前だと知ったのも、うんと後のことです。もちろん、独学で調べました。私が仕事を始めたのが1953年。その5年後、チチというパンダがロンドン動物園に動物商から連れてこられたことがわかりました。
今はもうなくなってしまったけれど、銀座に「イエナ」という洋書を扱う書店があって、写真集をソーッとのぞき見して、パンダが載っていたら迷わず買う。そう決めて本屋通いを続けました。1年に1冊あればいいほうでしたが、そうしてつくったスクラップブックは、いつしかパンダの記事でいっぱいになりました。
あるとき、当時、上野動物園の園長だった古賀忠道さんとNHKラジオで対談することになりました。ラジオが終わった後、「パンダの研究をしているんですけど、パンダってどこの動物園にいるんですか?」とうかがってみました。「中国本土の四川省、ロシア、北朝鮮……」そう教えてくださった。イギリスの動物園にパンダがいることもおっしゃっていたし、スクラップの情報とも合っていました。
そして、ついにその日がやって来ました。チチのいるロンドンの動物園にようやく行くことができたのです。1968年のことでした。実際に見るまでは、大きさの見当だってつきませんから、笑いがこみ上げてしまうほど楽しみでした。ロンドン動物園って公園の中にあるんですね。本当は会いたくて会いたくて駆け出したいのに、私はゆっくり、ゆっくり歩いてパンダ舎に向かいました。大事なものは最後に食べたい、そんな心理が働いたのかもしれません。
ついに対面した念願のパンダは、芝生いっぱいのスロープのような庭というのか、見ている私たちよりかなり深いお掘の向こうにいました。「かわいい!」パンダってもう首から背中にかけて真ん丸なんですね。足が短くて、まさにぬいぐるみ体形。ぬいぐるみって、全長の3分の1、顔の大きさがあるとかわいいって言うんですけど、パンダもそうだったんです。
何をしてもかわいい。寝っ転がっても、座っても、歩いてもかわいい。尻尾がなくて、白い毛が垂れているのもかわいい。足のかかとの毛が履きつぶしたスリッパのようになっているのもかわいい。もう全部がかわいいんですもの。
驚いたことに、チチの隣の庭には、もう1頭パンダがいたのです。ロシアから結婚のためにやって来たオスで、名前はアンアンといいました。帰国後、マスコミにパンダの話をしたことが、雑誌に“アンアン”って名前がつくきっかけのひとつになりました。
「あの結婚、うまくいくかしら」って言ったら、週刊誌に「変な動物の結婚を心配するより、黒柳徹子は自分のことを考えたらどうだ」って。ちゃんと「パンダ」って言っているのに「変な動物」って書かれたんですよ。それくらい、当時はみんなパンダを知りませんでした。