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ダウン症の子を持つ親へエールを送ろうと本を執筆した小波津智恵美さん(右)と、描いた絵を持つ息子の有希さん(中央)。左は有希さんの友人の米盛亜伊里さん=与那原町の就労継続支援B型事業所ゆいまーる

 

【与那原】重度のダウン症の小波津有希(ゆうき)さん(21)=西原町=の成長記録を通し、同じダウン症の子を持つ親へエールを送りたいと、母の智恵美さん(58)がこのほど、「『沖縄のピカソ』と呼ばれた 小波津有希 二十一年の軌跡」を自費出版した。智恵美さんは「感情表現が分かりづらい子でも、計り知れないイメージの世界を持っている。親が子の限界を決めず、良さを見つけてほしい」と話した。

 

有希さんは生後5日目に、ダウン症と診断された。現在も字を書くことが困難で、会話も難しい。智恵美さんは、有希さんがダウン症であることを医師から告げられた時、責任を感じ「すまない」と涙を流したという。しかし告知の直前に読んだ週刊誌でダウン症の子を持つ親の体験談が載っていたことを思い出し、そこに記された「思いっきり泣いて目を開けたとき、この子に必要とすることをしなさい」との言葉を支えに、有希さんの成長を見守ってきた。

 

有希さんは3歳の頃からクレヨンで遊び始め、8歳からは墨や絵の具を使い始めた。「絵を描いている時の表情がとても柔らかい」と感じた智恵美さん。有希さんが絵を描く時は、一見墨や絵の具を無造作に紙にこすり付けているように見えるが、翌日仕上がった絵を見ると、十二支のえとが隠れていたり、人の顔が見つかったりするという。

 

有希さんは、13歳で初めて墨絵の個展を開き、その後全国放送のテレビ番組で「沖縄のピカソ」と紹介された。

 

有希さんは現在、天ぷらなどを販売している与那原町にある就労継続支援B型事業所ゆいまーるで、友人の米盛亜伊里さん(22)らと一緒に働いている。智恵美さんは「障がいに関係なく、子どもが何を必要としているのか感じ取ろうとすることが大切だと思う」と話した。本はゆいまーるで販売している。

 

問い合わせは小波津智恵美さん(電)080(3971)3724。