米軍ヘリ墜落で焼け焦げたアカギの前であいさつする前津栄健学長(左端)=13日、宜野湾市の沖縄国際大学 画像を見る

 

【宜野湾】沖縄国際大学に米軍普天間飛行場所属のCH53Dヘリが墜落してから、13日で14年となった。米軍に構内を封鎖され、機体から上がる黒煙が空を突いた14年前とは打って変わって、この日の学内には、普段と同じように友人との会話を楽しんだり、スポーツに汗を流したりする学生の姿があった。学内で開かれた集会に参加した関係者らは、事故を風化させない決意を新たにし、普天間飛行場の一日も早い封鎖を求めた。

 

事故当時、沖国大の1年生だった中田未来さん(33)=名護市=は「卒業してからは、なかなか学校に来ることはできないが、自分の中で風化させたくない」と、5年前から集会に参加している。今年は初めて、生後8カ月の息子を連れてきた。「基地があることは当たり前じゃない。事故を知らない世代にもちゃんと伝えたい」と語り、抱っこする息子に優しい視線を向けた。

 

初めて集会を訪れた同大3年の比屋根郁海さん(20)は「これまで都合が合わず参加できなかったが、参加者の少なさに驚いた。関心が低くなっているのかな」と危惧する。それでも「同じことを繰り返さないためにも、事故のことや沖縄戦について知り、伝えなければならない」と力を込めた。

 

集会中、そばを通り過ぎる学生の姿もあった。講義のために来ていた3年の砂川永吏さん(20)は「墜落事故のことは知っているが、14年も前だとあまり実感がない。入学した時は、米軍機が飛行している光景や音に驚いたが、慣れてしまった」と淡々と話した。

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