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(写真/AFLO)

12月15日、羽田空港で待ち受けていたファンからの熱烈な歓迎と報道陣からのフラッシュの嵐を受けて帰国した羽生結弦(21)。羽生はグランプリファイナルで史上最高得点の330点超えで優勝を果たし、「神が降臨した」と世界が称賛。誰もが認める “絶対王者”となった。その陰にはいつも、見守り続ける母・由美さんの姿があった。

 

4歳のときに姉の影響でフィギュアスケートを始めたという羽生。当時の彼は、今の姿とはほど遠い“臆病な少年”だったという。

 

「彼は2歳のときに小児ぜんそくにかかっていたため体力もなく、精神的にも今では想像できないほどもろかった。先生に怒られてしょっちゅう泣いていましたし、フィギュアをやめたいと漏らしていたこともありました。でも彼のそばにはいつもお母さんがいて、何かあるたびに『結弦ならできる』と励まし続けていました」(仙台のフィギュア関係者)

 

だが羽生家はごく普通の家庭。費用がかかるフィギュアは、家計を大きく圧迫していた。

 

「彼が9歳のときに“家族会議”が開かれたそうです。経済的な理由もあったのでしょうが、父親は羽生選手がフィギュアを続けることに反対したそうです。でも由美さんは『結弦は将来必ず世界に羽ばたく子だから』と必死に訴えたそうです。そしてパートを掛け持ちするという条件まで出して夫を説得したそうです」(前出・仙台のフィギュア関係者)

 

当時、スーパーの紳士服売り場で働いていた由美さんはクリーニング店のパートの掛け持ちを始める。さらに試合の衣装は手作りするなど、少しでも家計の負担を抑えるべく奔走していた。そして18歳になるとブライアン・オーサーコーチの指導を受けるべくカナダに渡った羽生。このときも由美さんは、家族と離れてでもついて行く道を選んだ。

 

「羽生選手は食が細く好き嫌いもあるため、由美さんは栄養管理の勉強を続けていました。それにジュニア時代から本番直前になると緊張のあまり、過呼吸のような状態になることもあったそうです。そのプレッシャーは成績を残すほど強くなっていった。そのため由美さんはあがり症を克服するメンタルコントロールも学んでいました。お陰で、羽生選手のメンタルの強さは誰もが驚くほどになったのです」(カナダ在住のフィギュア関係者)

 

まさに全身全霊で羽生をサポートしてきた由美さん。世界を驚かせた“絶対王者”の姿は、母子で築き上げたものだった。

 

「羽生選手は感謝と尊敬を込めて由美さんのことを“もうひとりのコーチ”とも言っています。今回史上初となる三連覇を達成した彼は、宿泊先のホテルに戻ると母・由美さんに『ありがとう』と言って首に金メダルをかけてあげたそうです。陰ながら頑張ってきた由美さんにとって、何よりのプレゼントになったことでしょうね」(スポーツジャーナリスト)

 

来春には、世界選手権に挑む羽生。至高を目指す母との二人三脚はまだまだ続く――。

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