画像を見る

’20年の東京五輪で金メダル最有力といわれる男子水泳・瀬戸大也選手(25)。2年前の結婚以来、成績も安定し7月の世界水泳選手権でも、個人メドレー200mと400mで金メダルを獲得。快進撃は元水泳飛込日本代表で妻の優佳さん(24)の存在なしには語れない。

 

「彼の第一印象ですか? 子どもっぽいなと(笑)。いえ、悪い意味ではなく、何に対しても素直で、無邪気なイメージでした。今も変わってないですね。私にないものを持っている人だと思います」

 

優佳さんの両親は、ともに中国上海市の出身。中国で飛込競技のコーチをしていた父・馬淵崇英さん(56)は、26歳で来日。元オリンピック選手の馬淵かの子さん(81)が主宰するJSS宝塚スイミングスクールでダイビングコーチに就任し、’98年には日本国籍を取得。現在も、日本飛込陣の主要メンバーを育成する敏腕コーチだ。そして母・優陽さん(53)はーー。

 

「母は、中国にいるときから父と交際していて、父が来日する際に『離れてはいけない』と、父を信じて一緒についてきたそうです。優れた選手を育成するという父の目標をかなえるために、母はひたすら家事をこなして、遠征に同行すれば選手たちの世話をして、父に尽くしてきた。私が生まれる前の貧乏なころは、パチンコ店で働いて家計を支えたといいます」

 

そんな両親のもと、優佳さんは’95年2月5日宝塚市で生まれた。父の働くJSS宝塚で、就学前から泳ぎはじめた。

 

「飛込を始めたのは、小学校1年くらいかな。物心ついたころには飛んでいたという感じです」

 

高校時代は1m飛板飛込で日本選手権を制覇。

 

「高2で、上海の世界選手権に出たころは、私がやるべきことはこれだ、とやっと思えた。でも、遅かったんです。立命館大に入ってからはケガに悩まされて、スランプでした。もっと早く大也と出会っていれば、と思うことがあります。彼のようなポジティブな発想があれば、私もオリンピックをめざせるくらいに伸びたかもしれない……」

 

優佳さんが大也さんと初めて会ったのは、’14年、2人とも大学2年生だった。大也さんが宝塚での試合に訪れた際、共通の友人の紹介で会食。前年の世界選手権で優勝した大也さんが、一躍脚光を浴びていたころだ。メールアドレスを交換し、積極的にデートに誘ってきたのは大也さんだった。

 

「とにかくポジティブで、新しい人種に出会ったようでした。それまでの私は競技優先だったのに、思わず『いいよ!』と(笑)」

 

やがて遠距離恋愛が始まった。

 

「つくづく育った環境が人間性に大きく影響すると感じました。大也は『俺、親に怒られたことないから』と言うんです。お父さんから『人間の可能性は無限なんだ』と教えられて、褒められて育って、あれだけの選手になるんだからすごいですよね。常識にとらわれず、のびのびとしている。私は父に怒られて育ったので、ともすれば失敗したらどうしようと不安になるんです。安全運転しかできない。物事のマイナス面ばかり見てしまって、大也に相談すると、『ないものを憂うんじゃなく、あるものに感謝するといいよ』と言ってくれたりするんです」

 

’17年5月24日、2人は大也さんの23歳の誕生日に婚姻届を提出。優佳さんは22歳だった。同年11月、優佳さんは全力で彼を支えたいと、自身の競技人生に終止符を打った。東京に新居を構え、大也さんと家庭を築いて2年半余。’18年に長女・優羽ちゃんを出産し、母親になった優佳さんは気持ちが沈むこともあった。

 

「娘が生まれて半年くらいのころでしたか。子どもを最優先に考えなければいけないので、自分のやりたいことができない。周囲の同年代は仕事をしているし、『私はまだ若いのに、なんで……』と負の感情がたまってしまったんです。彼に相談したら、『たしかに早くに母親になったけど、そのぶん、(子どもにかかりきりの時期が)終わるのも早いよ。そのあと、やりたいことができるじゃん』と。目先のことしか考えられなかった私に、5年後10年後があることをわからせてくれたんです」

 

さらに大也さんは、「世の中には子どもがほしくてもできない人もたくさんいる。今、子どもを授かったことは運命なんだよ」と。彼のそんな発想が、優佳さんの心を温かくする。逆に、大也さんは優佳さんのどこを頼りにしているのだろう。

 

「そうですね。彼は思いついたら突っ走っちゃうタイプなので、『もうちょっと考えたほうがいいんじゃない?』と言うのが私です。キャッキャッしているのを、止めるのが私の役目(笑)」

 

大也さんの「突っ走り」とは、たとえば結婚直前のこと。いきなり「キックボクシングと断食をやる」と言い出した。

 

「3日間の断食ダイエットなんですけど、麻布のキックボクシングジムに通って、私もつき合わされました。でも彼は2日でやめてしまった。本業の泳ぎの練習で体力を使い果たすので、当たり前ですが、栄養を取らないとできないんです。すぐにハンバーガーと牛丼を食べていましたよ(笑)」

 

結婚1年後。引越し後に必要な家具などを買いに行ったホームセンターでのことだ。ペットコーナーで、「運命を感じた! この犬、飼おう」と大也さんはミニチュアピンシャーの前で目を輝かせた。妊娠中だった優佳さんは大反対。

 

「彼もあきらめて、買ったものを車に積んで。帰るかと思いきや、『もう一度見に行こう!』って」

 

2人は犬の前で1時間ももめた。最終的には「じゃんけんで決めよう」となり、彼が勝った。家族に愛犬が加わった。

 

「私もアスリートの血が流れているので、『勝負事で決めるなら仕方がない』と認めちゃって」

 

優佳さんは愉快そうに笑った。

 

「彼は一緒にいて飽きないというか、面白いです。自由人です」

 

ただ、昨年の試合シーズン終了直後、「佐渡国際トライアスロンに出る」と言い出したときは、笑っていられなかった。

 

「距離が、ふつうのトライアスロンの2倍もある過酷なレースなんです。大事な時期だし、彼は水泳以外の練習をしたことがない。とくに自転車は危ない」

 

大也さんの両親も反対したが、彼は「これもトレーニングの一環なんだ。陸で体にかかる重力も覚えなきゃ。俺は出るから」と聞かない。それでも優佳さんが猛反対すると、佐渡よりはソフトな大会を見つけてきた。それも反対すると、ケンカになった。

 

「なんで俺のやりたいことを全部ダメって言うの?」

 

「だって、今は責任ある立場でしょ。自転車とか危ないじゃない? スポンサーさんもたくさんいるのに、たった一度、何かアクシデントが起きれば、人生が変わってしまうんだよ」

 

「そんなことを言ったら、俺は何もできないじゃん」

 

結局、九十九里トライアスロンに出場。水泳はもちろん1位だが、ランニングと自転車で苦戦し、約700人中の93位だった。

 

「そのとき思ったんです。頭ごなしにダメ出ししたら、彼は苦痛だろうなって。落としどころを見つけなくては、と考えるようになりましたね」

 

優佳さんの健康管理が功を奏しているのは、食生活である。結婚後、料理の勉強をしてアスリートフードマイスターの資格を取得。

 

「主人は放っておけば、牛丼、ラーメンに走るんです(笑)。ふだんの食卓では、主食の炭水化物、主菜、副菜、果物、乳製品を出して、脂質を抑えています」

 

試合前は、エネルギーをためる時期なので主食を増やし、おかずを減らす。トレーニング期は、疲労のため量をあまり食べられないので、タンパク質を増やす。夜は腹八分目だ。自慢の味つけは、母直伝のもの。

 

「ポイントは紹興酒を使うことです。種にまぜたり、春巻きの豚肉の下味に、香りづけで入れたり。手羽先は片栗粉で揚げて、『老干媽』(香味調味油)を入れるとおいしいですよ」

 

天然で感性の赴くままに生きる大也さんを、優佳さんが引き締める日々。二人三脚で頂点に向かう。

 

「来年8月には、主人の今まで見たことのない笑顔が見たいです。彼は金メダルをめざしているけど、私は『金が目標』というより、悔いなくやってほしい。すっきりした形で、やり切れたという、そういう表情が見たい。そして、それができる人だと思うんです」

 

そして、優佳さんは五輪後の家族の将来を見据えている。

 

「彼には、選手を引退したあとも、挑戦し続けるダンナさんであってほしいです。そして自分も挑戦できる奥さんでありたい。彼は、私には思いもつかないようなことをしそうですけど(笑)。私は、次世代の子たちに飛込を教えてみたいです」

【関連画像】

関連カテゴリー: