田中将大「怖い思いを」帰国にあった家族へのコロナ差別被害
画像を見る 米国テレビ局のインタビューを受ける田中投手(写真:時事通信)

 

■「身の危険を感じさせられる出来事が…」

 

里田は’19年6月に第2子となる女児を出産。昨年3月下旬、まだヤンキースに所属していた田中投手は家族4人で緊急帰国していた。その理由について、ツイッターで自らこうつづっている。

 

《キャンプ中断後もキャンプ地フロリダで生活していく中で、新型コロナウイルス感染以外でも身の危険を感じさせられる出来事があり、十分に注意をしながら一時帰国する決断をいたしました》(’20年4月2日付)

 

当時、ヤンキースの本拠地・NYでは8万件を超える感染者が報告され、約2千人の死者が出ていた。さらに、“身の危険”を感じるほど、自分や家族の安全が脅かされていたというのだ。

 

「再び米国に戻った昨秋、里田さんはオンライン授業になった長男のため、英語と格闘しながらネット環境を整えていました。しかし、SNS上でのヘイトクライムを目にしてしまうこともあったようで、ストレスに感じていたといいます。田中投手は昨シーズンで7年161億円の契約を終えましたが、コロナ禍が続く社会情勢は変わらず、家族を守るために米国の他球団移籍という選択肢は考えなかったようです」(前出・スポーツ紙記者)

 

帰国した田中一家は現在、都内の高級マンションで暮らしているという。里田はインスタグラムに、長男が通っている今の幼稚園についてこうつづっている。

 

《子供たちの成長を感じるとともに、毎回いろんなアクティビティを考えてくださる園の先生方に感謝の気持ちでいっぱいになる。(略)安心して信頼して子供たちを預けられる場所があるという有り難さを感じながら。パパもがんばってるし、ママもがんばる!》(2月12日付)

 

家族の事情に加え、田中には楽天のホームである被災地・仙台への強い思い入れもあった。現在発売中のスポーツ誌『Number』で、田中は楽天への復帰について率直に語っている。

 

《今回、FAになって、初めて自分でチームを選択できる権利を持ちました。そのタイミングがたまたま(東日本大震災から)10年目か、ということを考えた瞬間はありましたね。(略)5歳の長男はもう、野球のことをわかっているからね。自分が好きでやっている野球ですから…うん、ボロボロになれるまでやれたらな、と思います》(4月1日号)

 

東日本大震災の発生当時、被災地の惨状に心を痛めた田中投手は、翌々年、楽天に悲願の初優勝をもたらし、東北のファンの心を奮い立たせた立役者となった。3月27日、復帰初登板となる田中投手は家族の声援を受け、東北の人々をまた勇気づける――。

 

「女性自身」2021年4月6日号 掲載

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