礼儀正しさや思いやりのある性格も愛される羽生結弦(写真:森田直樹/アフロスポーツ) 画像を見る

「“元気で頑張って。うちの息子も頑張っているから”という気持ちで、結弦くんに餃子を送っていたんです」

 

羽生結弦(26)との交流を、そう話してくれたのは石川県金沢市在住の坂田俊晃さん。坂田さんの長男、裕熙さんは、羽生と同学年で同じ小中学校に通っていた。

 

自閉症があった裕熙さんは、高校卒業後、自立を支援する施設に通うようになったが、そこで餃子を作って販売しており、あるときからその餃子を羽生の元へ送るようになったという。

 

本誌9月14日号《羽生結弦 ルーツは母特製しょうが入り 金メダル級餃子愛!》の記事で取材を受けてくれた坂田さんだが、取材のなかで餃子の逸話にとどまらない羽生との交流も聞くことができた。本記事で改めて紹介する。

 

■“覚えてる?”と聞いたら羽生が笑って……

 

羽生と裕熙さんが出会ったのは、2人が通った宮城県仙台市の七北田小学校。裕熙さんは、特別支援学級に通っていた。

 

「結弦くんが裕熙の遊び相手をしてくれていたんですね。小学校4〜5年のとき、学校のスケート教室があって、そのときも長男の手を引いて教えてくれたようです。あとから聞いた話ですが、やはりうちの息子が危なっかしいところがあるから、先生もいろいろ考えられたうえで、障害のあるうちの子と、スケートの得意な結弦くんを組ませてくれたところがあったみたいですね」

 

その後、坂田さん一家は金沢に移住することになる。’11年3月に起こった東日本大震災で被災したためだ。

 

その3カ月後の’11年6月、アイスショーで全国を回りながら練習を続けていた羽生が、坂田さん一家の住む地域にショーのためにやってきた。その際、坂田さんは羽生や彼の母親と対面する機会があった。

 

「結弦くんに“うちの裕熙のこと、覚えてる?”と聞いたら、すごく笑って、“忘れるわけないですよ”と言ってくれたんです。その言葉にはたぶん、結弦くんがうちの子にかなり手を焼いたという意味も含まれているんだろうなって(笑)。それを笑って言ってくれることがありがたかったです。結弦くんって、本当に優しいですよ」

 

そのとき、羽生の母親とも震災について話したという。仙台で同じ地区に住んでいた坂田さん一家と羽生の一家は、被災時に避難した体育館も同じだった。

 

「“お互い大変でしたね”とかって話をしましたね。地震って人を選ばないですからね。みんな同じように苦労をしていて。“でもこうやって会えましたね”みたいな、同じ仙台の人間同士、ホッとするような感じがありました」

 

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