羽生結弦 五輪直前の「ファンに何かを感じてほしいとかない」発言に秘めた“原点回帰”
画像を見る 韓国選手団の一員として北京入りしたブライアン・オーサー氏(写真:YONHAP NEWS/アフロ)

 

■五輪の演技で《何かを感じてほしいとかはない》

 

この羽生の状況をあるスポーツライターは次のように見る。

 

「全日本選手権でもコーチ不在で圧倒的な演技ができています。コロナ禍のこの2年、オーサー氏とリモートのやりとりはあったとはいいますが、基本的に1人で練習してきた。そのリズムを崩さないためにも1人で挑んだほうがいいと判断したのではないでしょうか」

 

長年連れ添ったオーサー氏からすれば、直前の羽生の決断は寂しく映るかもしれない。

 

「そうはいっても勝負の世界。勝てると思う最善策を選ぶのは当然です。それにオーサー氏のもとで2度も五輪王者になった。恩義は十分に返しているともいえます」

 

さらに「団体戦に出なかったことにも通じるかもしれませんが……」と同ライターは続ける。

 

「彼はいま“日本のため”とか“お世話になった人のため”とかそういうことではなく、“自分のため”にやっているように思います」

 

そう言って、最近印象に残ったというフィギュア専門誌での羽生の“ある言葉”を挙げてくれた。

 

“北京五輪でファンにどんな演技を届けたいか?”また“演技を通して届けたいメッセージは?”という問いに、

 

《五輪は勝負の舞台なので、何かを感じてほしいとかはないです》(1月25日発行『アイスジュエルズVol.15』)

 

と答えているのだ。この言葉を見て不意を突かれたように感じたと前出のスポーツライターは言う。

 

「羽生選手は、これまで“見ている人の活力になれたら”“誰かの光になれるように”といったように、演技で人々を励ましたいという趣旨の言葉をたくさん発信してきました。特に、コロナ禍の昨シーズンはその傾向が顕著でしたし、さかのぼれば、彼には東日本大震災の被災地出身という背景があり、常にどこか“見ている人のため”というのを背負っていました。

 

だから《何かを感じてほしいとかはない》というそっけなくも思える言葉は、今回は何も背負わず“自分のために滑る”という意思表示のように感じます」

 

最後の五輪になってもおかしくない今回。過去の五輪とのモチベーションの違いはなんだろうか。

 

「ソチ五輪のときは、震災の記憶が新しく、被災地のために、という気持ちがあったと思います。次の平昌五輪では、“五輪2連覇”を成し遂げたいという幼いころからの自分との約束に縛られているところがあった。勝つことは“義務”でした。

 

でも北京五輪は、勝たなければいけないのではなく、ただ勝ちたいから勝ちに行く。オーサー氏が言っているのですが、“結弦は勝つのが好きなんだ”と。その原点に戻っているような印象を受けます」(前出・スポーツライター)

 

羽生を4歳から小学2年まで教えた山田真実さんに話を聞くと、このスポーツライターの話とリンクするように、本番直前の羽生にこんなエールを送ってくれた。

 

「みんなのためじゃなくて、自分のために演じてほしいですね。もうほかのことは考えなくていいから、自分のために満足するまでやって! という気持ちです。もし4回転半を成功して3連覇ができたら、『おめでとう! 天才だね』って言ってあげたいです」

 

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