今から23年前、脱サラしてお店を継いだ吾郎さん。
「父が亡くなり、お店を潰してはいけないとの想いもあったけれど…それまでは自分がやるとは考えたこともなかった。やはり子供の頃はここには近寄れなかったから、父が働く姿を見て育ったわけでもないですしね」
23年前。1985年の日本はまだ右肩上がりの経済で、会社勤めをしていれば安泰だった。
「でも今みたいな時代となっては、自分でお店をやる道を選んで良かったのかもしれないですけどね。選ぶというより、もっと切羽詰まったものだったけど…」
やはり父の店は潰せなかった。飲食業は未経験の吾郎さんだったが、ずっと夫の手伝いを続け、女手ひとつでお店を続けようとした母の姿を見過ごすことはできなかった。
「おおまかな事は母から教わりました。でも、本当にお客さんに教えてもらうことが多かったですね。親切ですよ。荒っぽいけど、みんな親切、この街は。
なにか至らない所があっても、その場では何も言わず、1日2日経ってから『お前、こないだちょっとアレだったぞ』って言ってくれる。しかも皆プロだから、どれも的確なアドバイスなんです。おかげ様で全く素人の私でも、今日までお店を続けてくることができました」
父からの伝承の代わりに、荒っぽくも優しい築地の男たちに育てられた、吾郎さんの二代目『若葉』。話を聞いているとたくさんの工夫とこだわりが見えてくる。外で食べるラーメン。気候や季節の違いで、味わいがずいぶん変わる気がする。
「朝の早いうちは、油は少なめに。体がだんだんと起きてくる昼近くは、少し濃いめくらいが食べやすい。季節でいえば、夏はしょっぱめ。冬はうす口で。ほんのわずかに、ですけどね」