月給7万円で借金2千万円を完済した「矢部家の食卓」

ナインティナイン・矢部浩之(40)の兄・美幸さん(43)が先月、借金を抱え極貧ながら笑いの絶えなかった矢部家の模様を綴った『矢部家』(光文社刊)を上梓し、作家デビューを果たした。

「僕が小学2年の時に父・幸夫が借金の保証人になっていたことで、借金取りが家にくるようになったんです」と美幸さん。その日から父はたまにしか家に帰ってこなくなったという。

借金返済のため近くのガラス工場へ働きに出た母・富美枝さん(67)は言う。「数カ所からの借金は昭和50年代当時、約2千万円ありました。当時7~8万円のお給料で借金を返済して、家族を養ってましたからね。ここ数年でようやく返済が終わりました」

祖父、祖母もいて貧しくも明るかったそんな昭和の矢部家の食卓を、母と長男が教えてくれた。

「夕食にはウインナーとご飯だけ。5日も続くと浩之のテンションも下がってましたね。あとは卵焼きとご飯か”矢部家特製カレー”の3品が定番でした。おかんは『インド風やで~』と言うんですけど、実は水で薄めてるだけ(笑)」(美幸さん)

「お金がなくてルーが足りなくても買えなくてね。だからカレールーは半分の量で水は倍の量。スープみたいな”矢部家特製”カレーができあがりました。”タコ焼き”はタコを買うお金がなかったので、息子たちにはチクワを『タコや!』と言って食べさせていたんです」(富美枝さん)

あるときおじいちゃんがどこかでニワトリを捕まえてきて、毛をむしり湯につけ、から揚げにしたことがあった。それはそれはごちそうだったという。

矢部家の夕食は「夜、私が工場から帰るのを待ってみんなで食べるのが基本でした」と母。軍隊帰りのおじいちゃんは矢部兄弟に厳しく食事マナーをしつけていたそうだ。

「『ごちそうさま』と挨拶しなかったり、箸の持ち方が悪いと、じいちゃんの鉄拳が飛んできましたから(苦笑)」(美幸さん)

貧しくても、家が暗かったことはなく、いつも家の中に笑いがあったという矢部家。いまではお金の心配もなくなったが、いま富美枝さんが息子たちに望むことは――

「早く孫の顔をみせてほしいな(笑)」

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