元裁判官の内藤由佳さんが「自閉症の長男」に教えられたこと
内藤由佳さん(34)が、長女の穂波ちゃん(7)と長男の大雅くん(4)を連れ、鹿児島県志布志市へと移り住んだのは、今年の4月。2歳のときに自閉症と診断された、大雅くんのことを考えてのことだった。8年半務めた裁判官の仕事を辞し、仕事のある夫を関西へ残してまで内藤さんがここへ来たのは、「ヨコミネ式」学習法と呼ばれる保育を実践する、たちばな保育園があるからだ。この保育園は、幼児期の能力を最大限に引き出す保育法で注目されている。
「4歳なら普通は親とも会話ができるんですが、この子は簡単なやりとりならともかく、コミュニケーションをとったり、人と関わったりするのに問題を抱えています。ここ(たちばな保育園)へ来て、ジャンプができるようになり、鍵盤ハーモニカも弾けるようになり、最近は家でブリッジの練習もします。そんな姿を見るのはこれまでなかったことです」
自閉症とは、発達障害のひとつ。先天性の脳機能障害と考えられている。他人とのコミュニケーションがうまくとれない、興味や関心が偏る、同じことを繰り返したがる、などの特徴があるとされるが、症状は人それぞれだという。
「『自閉』という名前から、引きこもりのように自分の殻に閉じこもっているとか、育て方に原因があるのではと思われるなど、正確でない知識やイメージを持つ人もいます。それで当人や家族が傷つけられることも。私は、自閉症についてもっと深い理解や支援のある社会、『私の子は自閉症です』と、堂々と胸をはって言える世の中をつくっていきたいんです」
福島県いわき市で生まれた内藤さんは、国家公務員の父親の仕事の影響で、幼いころから引越し、転校を繰り返した。中学時代は、太っていたせいでいじめられっ子だったという。高校進学後、ダイエットに取り組み18キロの減量に成功。その後は順調に「東大に入り、裁判官になって、結婚して、キャリアを築いて。それが大雅の誕生で根本からひっくり返りました」と内藤さんは語る。
大雅くんは2歳近くなっても、言葉が多く出てこず返事もしなかったという。内藤さんは何かおかしいとは思ったが、それがなぜなのか分からなかった。2歳になってからの集団健診で「自閉症の疑いがある」と指摘され、専門の医師に診てもらうことに。その結果が、自閉症という診断だった。内藤さんはそれを聞いて「ホッとした」という。
「それまでは理由がわからず、どうすればいいのか、という状態でしたから。『よし、これで原因がわかった』と。障害があるというスタートラインから始めようじゃないかと思えたんです。ただ、主人や両親は、障害を受け入れるのにかなり時間がかかりました。将来、苦労していくだろうということを受け入れたくなかったのかなと思います。今ではよく理解してくれて、みんなで息子を育てているという感じになっていますけどね」
育児に専念するため裁判官の仕事を辞めた内藤さんは、子育ての傍ら『悠々かあさん』というブログを書くようになった。9月から弁護士事務所も開設。さらに、講演もするようになった。この日は、地元の保護司の招待で、兵庫県川西市で壇上に立った。裁判官時代の経験(内藤さんは高知地裁時代、100件を超える少年事件の加害者、およびその家族に関わり、多くの忘れられない子供たちと出会った)、障害のある子の母になったことで気づいたことなどを、穏やかな口調で話していく。
「広い野原に、たくさんのシャボン玉が浮かんでいる景色を想像してください。その中には、いろんな色の石が入っていて、シャボン玉が割れると、石がバラバラと落ちてきます。どの石を拾うかは自由です。私たちはその石を拾って、カバンに入れて生きていくのです」
シャボン玉は人生の出来事。石はその出来事をどう評価するか。そしてカバンはその人の心だ。ポジティブな明るい石を拾うか、ネガティブな暗い石を拾うかは、その人次第。拾い直すこともできる。
「幸せと思える石を拾って、カバンの中がそんな色の石ばっかりになったら、きっと人生、すてきな彩りになると思うんです」
シャボン玉が割れ、石がこぼれ落ちる事実は変えられない。でも、それからのことは自分で決められる。それを教えてくれたのは、かつて仕事で出会った少年たちであり、そして、大雅くんだった。
「大雅がひとつひとつ、何かができるようになったとき、とてもうれしくなります。障害を『不幸』と思うか『幸福』と思うかは、自分で選べるんですよ」