日本フィルハーモニー交響楽団の創立70周年記念の演奏会に臨まれた愛子さま(写真:JMPA・2026年6月22日) 画像を見る

「記憶にはありませんが、私が生まれたとき、新聞に記事が載ったそうですよ」

 

本誌記者にほほ笑みながら話す久邇朝宏(くに・あさひろ)さん(81)は、第三代久邇宮家当主・朝融(あさあきら)王の三男。

 

1944年10月8日付の『朝日新聞』朝刊は、《久邇宮第三男子御誕生》との見出しで、前日に朝宏さんが誕生したことを伝えている。朝宏さんが生まれた久邇家は、南北朝時代に始まった伏見宮家の第20代当主・邦家親王の王子・朝彦親王によって1875年に創設された。

 

終戦後の1947年10月14日、久邇家を含む11宮家の51人が皇籍を離脱する。1週間前に3歳になったばかりの朝宏さんは、皇族から一般国民となった。

 

学習院初等科に通っていた朝宏さんには、皇室を意識した出来事があったという。

 

「初等科にはバスで通っていました。3年生くらいでしょうか。ある日の下校時、車内で年配の男性に『君、久邇くんだろ。久邇宮だよね』なんて声をかけられたんです。帰宅後にそのことを話したら、お手伝いさんに『あなたは特別な人なんですよ』と言われたのです。あとでわかったことですが、声をかけてきたのは、久邇家とともに皇室を離れた賀陽(かや)家の方でした。

 

でも物心がついたときから、一般人だという意識があります。自分が特別だと思ったことはありませんが、“目立たないようにしよう”と思って生きてきました。何か意識するところはあったのかもしれません」(朝宏さん、以下同)

 

旧宮家のなかでも、久邇家は天皇家に近い。朝宏さんの祖父・邦彦王の長女・良子女王は昭和天皇と成婚した香淳皇后。上皇さまは、朝宏さんの従兄という関係だ。

 

朝宏さんは初等科時代に初めて、皇室と旧皇族の親睦の場となっていた、菊栄親睦会に参加した。

 

「当時の天皇皇后両陛下(昭和天皇と香淳皇后)にお目にかかり、そこで何か皇室とのつながりを感じたような記憶はあります。初等科の隣のクラスには、三笠宮崇仁さまの長女・近衞甯子さんがいらっしゃいましたし、学習院で学んだことで、皇室を敬い、日本人を大切に思う気持ちが育まれたという気がします」

 

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