かつては「不作の83年組」と言われながらも、アイドルとして芸能界をたくましく生き抜き、今は真夏のステージに向け最後の準備に忙しい大沢逸美(60)、桑田靖子(58)、小林千絵(62)、木元ゆうこ(59)、徳丸純子(60)、森尾由美(60)、松本明子(60)の7人(徳丸はアメリカ在住のためライブは不参加)。「お神セブン」として数回にわたりイベントを自主企画してきた彼女たちが、8月22日にシアター1010(東京・北千住)で「83年組アイドル アラ!?還ライブ」を開催する。
記念ライブを前に、今回はメンバーのなかから森尾、桑田の2人に、“デビューから、アイドルを卒業するまで”の日々を振り返ってもらった。
森尾は中3で雑誌『Seventeen』の読者モデルとなり、これがきっかけでスカウトされた。アイドルとしてのデビュー曲は『お・ね・が・い』(オリコン54位)で、キャッチコピーは「レモンチックな17歳」。
桑田は、11歳から地元の福岡で松田聖子も通った歌謡学院に通い始め、福岡音楽祭グランプリなどの実績を引っさげて13歳で上京。デビュー曲は『脱・プラトニック』(同50位)で、キャッチコピーは「これは、16歳の戒厳令だ」。
桑田靖子(以下、桑田) 私たち、83年のアイドルデビューから、もう43年が経つんですよね。
森尾由美(以下、森尾) 私、埼玉県出身なんですが、反感を買うのを承知で言いますけど、埼玉県民が芸能人になれるとは思っていなかったんです(笑)。すでに芸能界では、日本の北と南の北海道や福岡出身で個性的なスターが多かったですよね。それを考えると、東京の隣の埼玉はちょっと中途半端かなと。ですから、少しでも自分自身が垢抜けたいと思って読者モデルに応募したんです。
桑田 私のデビューのきっかけは文化放送のオーディションで、いくつかの事務所からのお話があったんですが、母から「松田聖子さんの事務所からもあるみたい」と言われ、その場で「絶対そこがいい!」と声を上げてました。聖子さんもすごい勢いのあるときですし、同じ福岡出身で大好きでしたので。
それでサンミュージックに入ることができて、聖子さんとも当時、芸能界のバーターでご一緒にお仕事させていただきました。実は私、武道館でもデビュー曲を歌っているんですが、そのときも聖子さんがご一緒でした。同じ楽屋で、聖子さんのほうから「おいで」と言ってくださって、メイクもしていただいたんです。
森尾 うらやましい! たしかに、売れている先輩たちはやさしかった。
桑田 私は、デビュー後は事務所の社長宅で暮らしていましたが、実はアイドル時代は5年間しかないんです。自分の人生は歌うことにあるんだと、そのころから思っていましたが、だんだん歌のお仕事が減ってきたところに、バラエティの『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)などからお声をかけていただきました。
私は何もできなくて、プロデューサーさんに「何をしていいかわかりません」と言うと、「それを見つけるのが自分だから頑張れ」と言われたり。同じ楽屋が“ゆきねえ”として人気だった兵藤ゆきさんで、私が「アイドルじゃなく歌をやりたいんです」とつい愚痴ったら、「今やれることを一生懸命にやっておけば、いつか歌えるときも必ずくるから」と言ってくださったんですけど、結局、やめてしまいました。
若さゆえといいますか、『8時だよ!全員集合』(TBS系)の体操コーナーで、男の人と組んで体操するというときも、お仕事だからやればいいのに、どうしてもイヤでボイコットして部屋から出なかったことも。当時は、まわりのスタッフも大変だったと思います。
森尾 私も徐々にバラエティのお仕事もするようになって、『元気が出るテレビ』にも出演するんですが、そのときには、靖子たちが作ってくれた“元アイドルの立ち位置”があって助かりましたよ。
桑田 事務所はたけしさんや所ジョージさんなど大御所との仕事を見つけてきてくれるんですが、やればやるほど歌から離れていくというジレンマで。遠くを見られなかったんですね。そして私は、20歳で事務所を円満退社します。
森尾 やっぱり、19、20歳だよね。アイドルじゃなくなるんだよね。
桑田 だから、人生で一つだけやりなおしができるなら、サンミュージックをやめない道を選ぶかな、と思いますが……。いや、やっぱり、私はやめてると思います。自由に生きたい、という思いはごまかせなかったかな。
森尾 歌うお仕事が少なくなって、バラエティや司会などに出ていくというのは、当時のみんなもそうだったと思うんです。私たちの時代って、アイドルは10代までで、20歳が一つのターニングポイントになっていて、なんとなく19歳くらいから事務所の風向きも変わってくるのを感じるんですよ。で、自分はこの先に芸能界にいるときにどういう方向でいくのかっていうのを決めなきゃいけない岐路が、20歳前にあって。私は、そのときにタイミングよく『オールナイトフジ』(フジテレビ系)など、バラエティやお芝居の話がきたので、ある意味、自然に変わっていけたんです。
芸能のお仕事をやりながら、ずっと向いてないなというのは思っていました。最初は20歳でやめようと思うんですが、高校を卒業できていなかったんですよ。そのときに社長が卒業まで学業優先にしてくれたんです。21歳で卒業するんですが、それもあって何年かはお礼をしなきゃとの思いで仕事をしていたら、やがて結婚があり、すぐに子供も生まれて。
桑田 由美は、結婚や出産のたびに大きな選択があったんだよね。
森尾 子供ができたときに、事務所から「結婚まではいいけど、出産したらアイドルはもうできない」というようなことを言われるんですが、それが納得いかなかったといいますか、「私は私だし」と思った。ずっと「やめる」と言ってたのが、そこだけムキになったんです(笑)。夫からも、「結婚出産って人生でいちばん幸せなことなのに、それを否定するようなところに君はいるの?」と言われて、「いや、そんなはずはない。ハッピーな空気はみんなもハッピーにするはずだし、この気持ちはきっと伝えられる」と思っていたのを覚えています。
いざ子供が生まれてみると、それまではファッション誌などの依頼がほとんどだったのが、今度は育児雑誌など仕事の内容も変わってきて、これはまた違うかたちで続けていけるんじゃないかと。『おそく起きた朝は…』(フジテレビ系)のお話をいただいたときも、そのときはもう子供が生まれて1年が過ぎて私も強くなっていたのか(笑)、やらせてもらえるものはどんなことでもやってみよう、という気持ちがありましたね。
桑田 まさに、母は強し!
森尾 それ以上に悩んだのが、連続ドラマ『大好き!5つ子』(TBS系)の出演の話がきたとき。2人目の娘がまだ6カ月だったんです。さすがにどうしようかと思ったんですけど、それを逃したらもうこんなチャンスもないと思っていたんです。とにかく『5つ子』は企画書がおもしろくて、演じるのも実生活と同じ母親役だったし、「やりたい」と思って。うちの母に相談したら、「できる限りのヘルプはするよ」と、頼もしく言ってくれたので。
桑田 お母さま、すごい。よかったね。
森尾 特に上の子は100、いや120パーセント、母が育てました(笑)。夫はコーディネーターの仕事でアメリカにいて、当時のわが家は母子家庭のような生活でした。ですから、実家のそばのスープの冷めない距離に引っ越したんです。
“脱アイドル”を遂げた2人は、その後いずれもアメリカでの生活を経験することに。アイドルとしてデビュー後、さまざまな人生経験を経た彼女たちが、8月のアラ還ライブでは年齢を重ねたからこその魅力を発揮してくれそうだ。
画像ページ >【写真あり】当時の顔が初々しい「83年組アイドルアラ!?還ライブ」のイベント告知(他4枚)
