9月18日、東京地方裁判所で下された一つの判決が、全国の介護事業者や介護家族の間で波紋を広げている。
2023年12月、東京都墨田区の介護施設でデイサービス(通所介護)を利用した87歳の女性が、施設の車で送迎後に自宅アパートの外階段で転倒し、死亡。遺族が「死亡したのは施設側の責任がある」と、3400万円余りの賠償を求める訴えを起こした。
東京地方裁判所の大野晃宏裁判長は、「本人や親族などに過去の転倒歴などを確認すれば身体の状況を把握でき、危険を具体的に予測できた。こうした注意義務を怠った」と認定し、施設側に対して1800万円余りの損害賠償を命じた。
高齢化社会が進む日本において、デイサービスは要介護者やその家族にとって欠かせない生活基盤である。しかし、今回の判決は事業者の責任範囲と安全配慮のあり方について、極めて重い問いを突きつける結果となった。
「事業者側からすると、こうした司法判断が示されると、送迎に限らずあらゆる介護の場面でさまざまな責任を問われる可能性が出てきます」
そう語るのは、東洋大学福祉社会デザイン学部社会福祉学科の早坂聡久教授(57)。宮城県内で特別養護老人ホームやデイサービスを運営する立場から、今回の判決の影響は大きいと危惧する。
「今、介護をとりまく環境は非常に厳しいです。慢性的な担い手不足の上、光熱費などのコストが上がり、介護報酬ではまかないきれないため、多くの通所介護事業所は経営的に苦境に立たされています。
それでも地域の高齢者をなんとか支えようと、気持ちだけで踏ん張っている状態なのに、このような司法判断が出て、現場で働いている人たちが矢面に立たされるようなことがあれば、介護の担い手になろうという人たちがますますいなくなってしまうのではないか、という危機感を覚えました」(早坂教授、以下同)
デイサービスから出た後、戸建てに住む利用者は「玄関まで送り届ける」のが基本だが、集合住宅の場合はどうか。1階のエントランスまでなのか、それとも自宅の前までなのかは、建物の構造によって異なるそうだ。
厚生労働省のガイドラインでは、デイサービスの送迎時には「安全なところまで介助をして送り届ける」ことや、「どこまで見届けるか」を事前に確認しておくことが求められている。
「同居の家族がいる場合、玄関の前まで送ったことで介護スタッフは送迎の役割を果たした、という認識になっています。ところが、最近はおひとりさまや家族が昼間仕事に出ている家庭が急増していて、家族が送迎の時間までに帰宅できない場合は、介護スタッフが自宅の中まで入って、エアコンや電気をつけたりベッドまで連れて行って寝かしつけたりという、介護報酬の対象にならないシャドーワーク(隠れた業務)は暗黙の了解で行われていました。
事業所にとってはものすごい負担になっています。ただ、このような善意で行っている行為を、『契約書』に沿って線引きするとなると、今後は一切できない、という事業者も出てくるでしょうし、そもそも転倒リスクの高い高齢者とは契約できない、といったケースもあるでしょう」
過度な賠償リスクを恐れるあまり、事業者が利用者の自立支援(できる限り自分の足で歩いてもらうことなど)を控えて過剰な介助を行ったり、送迎対応が難しい高リスクな利用者の受け入れを躊躇したりする「防衛的介護」につながる懸念があるというのだ。
そうなると困るのは介護する家族である。親が帰宅する時間に合わせて、自分も退社しなければならなくなる。
そして、通所介護事業所では、経営がうまくいっている事業所と、経営が困難な事業所との「二極化」が進んでいるので、赤字経営の事業所の撤退が加速するといった懸念もある。
「経営がうまくいっているデイサービスは都市型で、利用者が歩いて通うことができるような場所にあります。短時間かつリハビリ専門で、比較的要介護度が軽い人が対象として、午前中と午後と入れ替えができるので稼働率が高い上、コストのかかる入浴サービスを省き、地方と比べて送迎コストが安価になります。
一方、経営効率が悪いのは地方や中山間地域で運営しているデイサービスで、要介護度が重く認知症の人が通うような事業所は多くの介護職員を必要とするのでコストが高く、稼働率が低い。赤字が続けば撤退を余儀なくされる事業所も今後出てくるでしょう」
こうした状況が続けば、経済的に余裕のある高齢者は条件の合う介護サービスを選べる一方、低年金の高齢者ほど必要なサービスを受けにくくなる、といった格差につながる可能性もあるという。
来年4月に予定されている介護保険制度の改正に向けて、これから国会での審議が本格化する。それに先立ち、デイサービスの処遇改善加算は今年6月の臨時介護報酬改定によって大幅に拡充・見直しが行われたばかりだが、現場の声が十分に反映されているとは言い難い。
介護難民が続出するカウントダウンが始まった。
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