――人生として、次のステップアップとしては、どういうところを、めざすのがいいんだろう。最近、たまたま、われわれもドキュメンタリーの現場で仕事をする機会があって。いま、関口さん(関口祐加監督)っていう、『THEダ
イエット!』っていう映画撮ったドキュメンタリー監督と、ブログ作ったりしてるんだけど。ドキュメンタリーの世界っていうか、やっぱりグラビアやファッ
ションとは違って、すごくさらす。自分というか、撮られている被写体をさらすじゃないですか。どれだけ中に入って行って、どれだけ暴いて、どれだけ隠され
てるものをさらすかという行為だと思うんですけど。
林 ある種、同化するっていうところも必要だとは……。まあ、撮るスタンスにもよるんでしょうけど。
――やっぱり、ときには、残酷でなきゃいけないし。すごく自虐的なこともしなきゃならないし。やっぱり、通常の世界より相当きつい。あえて、そこに進んでいこうというのは、あれは何なんだろう?
林 僕ですか?
――そうそう。
林 いろんなスタンスがあると思うんです、ドキュメンタリーに関して。全部暴かなきゃい
けないとか、そういうものがあるだろうし。僕はちょっと、またちょっと違うような気がしていて。対象をまず、ものすごく好きになることだと思ってて。一緒
に愛情をかけることですよね。人間って絶対、プラスもあれば、マイナスもある、負の要素もあるけど。そこに目をつぶるとかっていうんじゃなくて、それ、誰
でもあること、そこの素晴らしい部分を拾っていきたいという感じなのかなぁと、思うんですよね。うまく言えないですけど、そういう……。そういういい部分
とか、プラスな部分を、いろんなことがあって入り込んで行ったときに、自分自身が同化していったときに、何か自分の中のものを昇華っていうか。社会的にう
んぬんとかっていうのは、また別なんですけど。
なんかね、そういうところでいろんな魂的な
ものを昇華していくような感覚っていうか。そういうのがたぶん、欲しいのかなと。だからやってるのかなっていうような。だって、金で考えたら、むちゃく
ちゃ、やってられないっていう世界でもありますからね、やっぱり。それで、ちょっと戻るんですけど、事故したときに一番思ったのが、結構スローモーション
的な感覚になることって、なかったですか?
吉田 ああ、そうですね。
林 ああ、俺、死ぬ、みたいな。ああーって思うわけですね。いろんなことを考えるんです
けど、瞬間的に。結局生きてたから言えるんですけど。死にたくないと思うわけですよね、まだ。まだ死にたくないと思ったんです、最初に。まだ何もやれてな いのに、みたいな。神様何とかしてくださいみたいな、やっぱり祈ったわけです。僕、事故して手がものすごい痛くて。もう食べれなかったりするじゃないです
か、痛くて、痛くて、もう眠れなくて。1年間ぐらいそういう状態で、体重が64あったのが、48キロぐらいに落ちちゃったんですね。眠れなかった。そんなとき、神様、何で俺だけがこんな目に遭うのとか、もう助けてくださいみたいなことを思うわけですよ。ああーとかって、暴れたりとかして。
でも、それって普段、全然、僕、信仰心とか まったくなかったのに、そういう土壇場とか、ギリギリのときに限って、神様とか言うわけですよ。でも、それって何だろうと思ったときに、よくよく……、こ
れって太古の昔からそういうのってずっとやってきてるけど、人間の本能なんじゃないかなと思ったんですよね、お祈りするっていうこと。お祈りっていうか、
あるじゃないですか。もう、変な話、医者でもこの人ダメですってなったときに、神様とかって言って、何とかって、みんなたぶんお祈りするんですよね、その
人のために。あるじゃないですか、絶対に。絶対本能なんだっていうふうに思ったんですよね。だから、そこなんだなと思って。大袈裟に言っちゃうとあれです
けど。そう思ったんですね、僕。
――そこが見えたっていうことは、1つは自分の中では完成じゃないけれども、あれなのかな、域としては。
林 域としてはっていうか、ぼんやりと見えてはいるんですけど。ただ、それはどんどん、
どんどん昇華していかなきゃいけないと思ってて。それは写真として、どこまでできるのかっていうことなんでしょうけど。だから、写真って一種の手段だった
んですよ、僕にとって。ですよね? 同化したりとか、感じたりすることの結果が写真であって。
吉田 たしかに。俺もラグビーできなくなったの、18歳
だったからね。高校は日本代表の候補で合宿やってたんですよ。スクラム組んで、その年カナダに遠征行く前で、混成チームだから、スクラム組んでて、うまく
合わなくて、ゴンと落ちたときに、こういう感じになって後ろから押されたんです。ポーンと、起きたらもう手も足もない状態だった。やっぱり写真撮る、最初
のきっかけは、当時、僕は同じ歳だから、一眼レフカメラでオートフォーカスが出て、ラグビーできなくなっちゃって、できないのはわかってるけど、絶対やり
たかったんですよ。もう一度ラグビーやるっていうのだけで生きてたから。見てるのがすごく嫌だったんですよね、仲間がやってるの。で、さっき言った同化
じゃないけど、撮ると一緒にやってる気になるんですよ。みんなで一瞬を撮ってて、もう本当に素人で何でもなかったときに、ちょっと長いタマ(レンズ)を
買って来て、一眼レフで一生懸命、みんなの試合やってる間は、僕が写真を撮るっていう。コーチじゃなくて写真を撮る係になったら……。
林 そうすることで、なんか昇華するような。
吉田 そうですね。もう一度ラグビーやってる気分になれたっていうのが、最初だったですね。
林 結構同じところはありますよね。おそらく、前話したとき……。
吉田 そうですね。べつに写真じゃなくてもよかった。いまだったら、もしかしたら透過で撮って、つないでたかもしれないし。
林 そうですよね。
吉田 マンガうまかったら、マンガ描いてたのかもしれないし。写真っていう手段がすごく合ってた。
林 そうなんですよ。
――そこにあったっていうこと、カメラがあった。写真っていうもの……。
吉田 いまでも、それは変わらなくて、写真っていう手段もあるし、書く手段もあるし、残していく手段として、すごく……。あと、1人で完結できるのね。いろんなクルー連れてとか言わなくても、1人で旅しながら全部完結できるっていうのは、すごく自分としてはやりやすい手段。
林 一瞬っていうか、そこに封じ込めるというところも、なんかやっていくうちに神秘性みたいなのを、ちょっと感じるようなところがありますね。1秒ってすごい長い……。
――長い。カメラっていうのは本当に、プロが撮っても、素人が撮っても同じものが1枚としてもないもんね、色とかさ。どうしてこの色をこの人が出せるのに、俺出せないんだろうっていうか。たぶんプロの人には、俺たちのやろうとしたことは絶対できないみたいな、そういう瞬間の、その人の臓器みたいな、神経がつながってるみたいなところはあるよね。
吉田 僕はちょっと違うと思う。顔1つ
撮っても連写で撮って、「あいうえお」って言ってたら、全部顔違うわけじゃない。どんな小さな表情にも、自分が感じるものと、人ってあるから。何枚撮って
も、撮った瞬間にわかってるし、これと思ってるのが。俺の悪いのは、撮ったら自分の中、その写真が焼き付いてて、ちゃんと整理して作品にしないのがいけな
いんだ。でも、確実にそれはずっと覚えてるし、自分が撮ったやつは。これ、俺が撮ったって覚えてるし。
林 だから、シャッターって125分の1で切るっていうことは、1秒125に分けたうちの1つなわけですよね。だからスローシャッター切ればわかるけど、15分の1は、カッチャンじゃないですか。僕らにすれば、ものすごい長い時間ですよね。1秒のうちに、こんだけ物事が進んじゃうっていう。すごい……。
――今回本が出たわけですけど。あの本の中で一番、林君が見てもらいたいというか、伝えたいことというのは、何になるんですか?
林 読者にですか?
――読者に。ここを見てもらいたいんだっていう。
林 いろんな思いがあるんですけど。1つは、お金とか損得とかだけじゃなくて。もちろん生きて行くにはお金が必要ですよ。だから、それは否定しない。将来やりたいことがあって、低いからこっちみたいなっていうんじゃなくて、1つ
のこういう生き方もあるんだよって。正しいとか悪いとかじゃなくて、そういう彼らが、じゃあ何も得られずに終わってしまったかっていうと、決してそういう
ことでもなく。ある瞬間、強烈に輝くときが持てる、持つことができたりとか。その価値を決めるのは、結局その人、本人だからなんですけど。こういう生き方
もあるんだよって。それは、僕もそうなんでしょうけど。もちろん大嶋兄弟とかのストーリーもありますけど。あと、祈りのシーンっていうかね、直前にバーっ
とみたいな。ああいう美しい、祈るっていうか、極限の状態の中で、一歩踏み出すっていうか。そこの美しさっていうのを単純に伝わったらいいなと。そういう
ことですかね。いま作ってるお芝居の本もそうですけど、これからやっていくこともそうなんでしょうけれどもね。