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「本日をもちまして閉店させていただくことになりましたが、歌舞伎座の前にこういう弁当屋があったということを、忘れないでいただければ、幸いに存じます」

 

マスクに隠された口元が、口惜しさに歪むことが、これまで幾度あったかわからない。しかし、閉店直後の店頭で、こうあいさつした社長・猪飼信夫さん(67)の表情は、どこか晴れ晴れとしているようにも見えた。

 

4月20日。コロナ禍による緊急事態宣言のもと、静まり返った東京・銀座で、老舗弁当店「木挽町辨松(こびきちょうべんまつ)」は最後の日を迎えていた。歌舞伎座前に店を構える辨松のお弁当は、多くの歌舞伎俳優や歌舞伎ファンに愛されてきた。醤油の味がしっかりしみた煮物、出汁の甘味が際立つ卵焼きなど、歌舞伎の幕あいに冷めてもおいしく食べられるよう、少し濃いめの味付けが特徴だった。

 

「私にとって、歌舞伎を見るのと辨松のお弁当はセットなんです。この先、いったい何を食べたらいいのか……」

 

60代の歌舞伎ファンの女性はこう言って名残を惜しんだ。一方、長年同店に通っていたという70代の女性はこう唇をかんだ。

 

「子供の成人式や孫の七五三など、家族の祝い事には必ず食べた思い出の味。コロナによって東京の食文化の1つが失われてしまったみたいで……、寂しいです」

 

約15年前、先代の父親から店を引き継ぎ社長に就任した猪飼さん。毎朝4時に起きて弁当作りを続けてきた。しかし、70代が目前に迫るなか「元気なうちに、店を誰かに譲りたい」と考えるようになった。昨年夏、本格的に譲渡先探しを始め、ある企業と交渉を続けていた。本来なら4月にも、譲渡契約を締結する運びだった。

 

ところが、そこに新型コロナウイルスの感染拡大が襲う。歌舞伎座の公演が7月まで中止・延期になって、売り上げの6割ほどを占めていた歌舞伎関係の注文がなくなった。今年3月の売り上げはいつもの月と比べ8割近くも落ち込み、譲渡契約はあえなく破談に。

 

「店ののれんと、味を残すことができなかったこと、なによりそれがいちばん悔しい」

 

猪飼さんは無念の思いをこうもらした。

 

そして、閉店時間の午後5時。4月にしては冷たい雨がそぼ降るなか、猪飼さんと幹部ら3人が店頭に姿を見せた。そして、万感の思いをかみしめるように、歌舞伎座に向かって深々と頭を下げる。こうして木挽町辨松は、152年という長い歴史に幕を閉じた。

 

閉店から1週間ほどが経過した4月28日。店を訪れた記者に、猪飼さんは江戸弁でまくしたてるように話す。

 

「新聞やらテレビでは“コロナで廃業”と報じられたけど、厳密にはそうじゃないんだよ。僕も今年の夏で68歳。もう、あとちょっとで古希だよ。そうなるとさ、病気とかいろいろリスクが高くなる。それに、うちは後継ぎもいないからね。そろそろやめようかって、そんな話が出てくるじゃないですか」

 

それでも長年、多くのファンに愛されてきた弁当。猪飼さんは、たとえ自分たちは手を引いても、誰かにこの味と、辨松の名前を継いでほしいとも思っていた。

 

「それで、去年の夏ぐらいから、(事業を)引き受けてくれるとこを探したんですよ。本当はね、1社決まってたの。あとは監査を済ませて、この4月にもハンコ押そうってとこだった。ところが、そこにこのコロナが重なっちゃった。歌舞伎座は7月までは公演中止や延期が決まった。とはいえ、8月から再開するかっていったら、それもわからない。先が見えなくなっちゃった。譲渡先の企業からは『新事業を起こすには時期が不適切だから少し待ってくれないか』と言われたけど、うちとしてもそれは困る。それで、譲渡の話は白紙にさせてもらって、廃業することにしたんです。だから、コロナに辨松ののれんと味を後世につなぐことを阻まれちゃった。それは本当に悔しいよね」

 

152年間変わらなかった伝統の味。お祭りの日には、3千個の注文があったこともある。多くの歌舞伎役者にも愛された弁当が、ひっそりと銀座の街から姿を消した――。

 

「女性自身」2020年5月26日号 掲載

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