■「どうせ、ママのこと恥ずかしいんでしょ!」叫びに、わが子は「そんなことないよ」と……
現在、有本さんの体を蝕むHTLV-1関連脊髄症。この病気のことを彼女が最初に聞かされたのは、長女を妊娠中のことだった。
「検査で、HTLV-1というウイルスのキャリアだと伝えられました。『将来、もしかしたら白血病や脊髄症、ぶどう膜炎を引き起こす可能性がある』と。ただ、発症に至る人はごくまれなので、一点を除いて、そのまま生活してかまわない、とのことでした」
その一点というのは、赤ちゃんへの授乳が制限されたこと。ウイルスが母乳を介して感染する可能性が高いからだ。
「出産直後、長女に母乳をあげられなかったときはつらかった。母親失格の烙印を押されたようで、娘に申し訳ないと泣きながら、ミルクを与えていました」
その後、しばらくは何もなかったが、徐々に病魔が忍び寄ってくる。原因不明の高熱に悩まされたり、突如、力が抜け足がもつれたりといった症状が出始めたのだ。そして、2度目の離婚から2年を経た14年6月、HTLV-1関連脊髄症の診断が下る。
「『近い将来、歩けなくなったり、寝たきりになる可能性が高い』と言われました。そのときの気持ちは……もちろん、ショックでした。でも、いっぽうで、どんどん歩行が困難になるなか、あちこちの病院で診てもらっても、はっきりとした診断が下りない期間が長かったので。やっと認めてもらえたというような気持ちもありました」
しかし、病院からひとたび帰宅すると、事態の深刻さを受け止めきれず、ふさぎ込んだ。
「なんで、なんで私なの!?」
自分の足をさすりながら、声を上げて泣いた。
「職場の作業所では障がいのある人が毎日“ネジ組み”と呼ぶ作業にいそしんでました。終日、黙々とボルトにナットをクルクルと回し、ひたすら組んでいく。それを毎日やって、ひと月にもらえる工賃はほんの数万円。自立支援なんて聞こえのいいことを私自身も言いながら、現実の厳しさを目の当たりにしていたので、将来、私もそちら側の立場になると思うと正直、とても怖くなりました」
失意に暮れる有本さんに、結婚を申し込んだ人がいた。現在の夫・昌人さん(54)だ。
「公務員で、休日には長男の入っていたサッカーチームのコーチをしているバツイチの人です。長男は私の2度目の離婚前からサッカーをやっていたので、家庭の問題で様子がおかしくなっていた彼に親身に接してくれて、離婚後も何かと気にかけてくれた。そんなところから、私と彼は親しくなっていきました」
有本さんは昌人さんに、正直に自分の病気のことを打ち明けた。診断確定後には将来、歩けなくなることも告げた。結婚を望む彼に何度も「無理しないで」と。
「でも、彼はまったく意に介さなかった。それに当時、私たちはエレベーターのない団地の5階に住んでいて。杖をついての階段の上り下りが本当につらくなってしまい、引っ越しを迫られていたところでした。聞くと、彼は前の家族と暮らした戸建ての家を処分しようとしていると。『だったらそこ、住ませてくれないかな』と、私からお願いしました」
こうして有本さんは診断確定の2カ月後に、新たな家庭を築いた。
「でも、やっぱり私は病気のことで気落ちしていて……いよいよ車いすでの生活が始まり、それまでなんとか続けていた作業所の仕事も辞めざるをえなくなりました」
家から一歩も出ない生活が長く続いた。泣き暮らす日々のなか、頼れるのは家族だけ。その頼りの家族に有本さんは当たってしまう。ある日の夕食の席でのこと。長男が「授業参観がある」と告げると、有本さんの後ろ向きな気持ちが一気に爆ぜた。
「車いすで行ったら長男が困ると思ったんですね。泣きわめきながら『どうせ、ママのこと恥ずかしいんでしょ!』って怒鳴り散らしてしまったんです」
静まり返る食卓。すると、長男が静かに口を開いた。「そんなことないよ」と。
「そして『ママは、どんな状態でもママでしょ』って言ってくれた。下の娘2人も長男の言葉に『うん、うん』ってうなずいていて……」
少し顔を引きつらせ、目に涙を浮かべながら、それでも懸命に母をつなぎ止めようとする子どもたちと、その様子を優しく見守る夫。自分を思いやってくれる家族の真心に触れて、有本さんの中で何かが変わった。
「スイッチが入ったのが自分でもわかりました。『このままじゃいけない、こんなことしてたらダメだ!』っていう強い思いが不意に込み上げてきたんです」
そして次の瞬間、心に誓った。
「そうだ、どうせなるのなら、カッコいい車いすのママになる!」
カッコいいママという理想を追いかけるうち、ネイリストという夢にたどり着くことになるーー。