「母・匡子さんは、亡くなる直前に病床から2人の娘たちへ『あなたたち姉妹には2人で生きていけるレールは敷きました。もう私はいつ亡くなっても大丈夫』と話していたそうです」(スケート関係者)

12月9日、浅田真央(21)の最愛の母・匡子さん(享年48)が肝硬変のため急逝した。グランプリ・ファイナルのためカナダ入りしていた浅田は、母が危篤だという知らせを受け、急遽帰国。母の最期を覚悟していたのだろうか、動揺する様子は微塵もなかったという。
そこには、最愛の母が遺した“別れの言葉”があった――。

幼いころからスパルタ式で浅田を特訓してきた匡子さん。彼女にとって、娘がフィギュアで活躍することが一番の喜びだった。そんななか、浅田が小学生のころ、匡子さんの入院と大会のスケジュールが重なったことがあったという。浅田家の知人はこう振り返る。

「『大会を休んで一緒に病院に行く!』と訴えた真央ちゃんに、匡子さんはものすごい形相で『病院には来ちゃダメ!ママがいちばん嬉しいことは、真央が大会で優勝することなの!』と怒ったそうです」

今シーズン、母親の闘病という他言できない葛藤と心労に負けず奮起した浅田。“病気のママに笑顔を取り戻してほしい”と必死に掴み取ったグランプリファイナル出場だったのだ。

「突然のお母さんとのお別れに、真央ちゃんもショックだと思います。でも、『ソチ五輪で金メダルを取るまで泣いちゃダメ』という匡子さんの言葉をそっと胸にしまっているんでしょうね」(浅田家の知人)

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