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お笑いコンビ・スピードワゴンの井戸田潤(43)と小沢一敬(43)が16日、NHK「スタジオパークからこんにちは」(毎週月から金曜・午後1時5分〜)で一時期コンビ存続の危機にあったことを明かした。

 

井戸田と小沢の出会いは名古屋吉本の養成所・名古屋NSCの2期生期として。名古屋では互いに別の相方と活動していたが、井戸田が東京に出た後にコンビを解散。同時期、名古屋でコンビを解散していた小沢に、井戸田が「東京で一緒にお笑いやろう」と誘い、スピードワゴンを結成。その後、コンビ活動を重ねていく。そんな順調だと思えたコンビ仲に2010年、存続の危機はやってきた。井戸田は次のように語った。

 

「芸人さんが小説を書くブームがあったじゃないですか?いまは定番となっていますけど。それに小沢さんものっかって、小説を書き出したんです。短編小説を。それまでは、毎年スピードワゴンで単独ライブをやってたんですけど、その年、小沢さんが『今年は単独ライブはやらない』って言い出したんですよ。でも、それはスピードワゴンの活動ではなく小沢さんの活動だから、こっち(スピードワゴン)はこっちでやってもらわないと困るわけじゃないですか」

 

そのとき、小沢さんの口から飛び出したのが「小説の落とし方しかわからない。漫才の落とし方は、もうわからないんだ」という言葉だった。

 

「“はあ?って思って。まだ、処女作執筆中ですよ。もうね、(文豪)みたいにふんぞり返ってるんですよ。これは、もうダメだなと思って。『漫才をやたいって2人東京に出てきたのに、やらないってことはコンビ解散』(ということ)に近いことを言ったんですよ」

 

だが、コンビは解散しなかった。その理由を井戸田は「小沢さんがやる気を出してくれるのを待ってた。解散しちゃったら、もう2度と漫才ができなくなるんで」と話した。その待っている間にピンで活動していたネタが、カウボーイに扮しジョークを繰り出す『ハンバーグ師匠』。今では、井戸田の鉄板ネタとなっている。この小沢を待っていた時期のことを井戸田はこう振り返った。

 

「そのときはね、あんまり小沢さんのことを好きじゃなかったんですよ。ネタもやらないし、どういうつもりなんだろうと思って。(書いていた)小説もたいして売れてねえし。その期間は何だったんだよって話だよ!」

 

そんな2人だったが、その後小沢も漫才師としてのやる気を取り戻し、2013年からはスピードワゴン主催のネタライブ「東京センターマイク」を立ち上げ、コンビとして精力的に活動を続けている。

 

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