よりよく生きるは無理 緩和ケア医ががんになり気づいたこと

――夕闇の空から、次第に月がくっきり浮かび上がると、里山の小川でホタルが飛び交い始めた。

 

「今年6月に、妻と思い切って出かけたんです。車でたった30分ほどの場所ですが、今の私には、ギリギリの距離。消えそうになりながら、また力強く発光するホタルは、自分の命に重なりました」

 

こう語るのは『緩和ケア医が、がんになって』(双葉社)を出版したばかりの大橋洋平さん(56)。愛知県JA厚生連海南病院の医師であり、10万人に1人といわれる希少がん・ジストの患者でもある。

 

「緩和ケア医として15年間、末期のがん患者さんに寄り添ってきたつもりです。がんのことも理解していると思っていました。でも、自分ががん患者になると、冷静ではいられなかった。よく“がん患者でもよりよく生きる”という言葉が使われますが、とても“よく”なんて無理。それでもしぶとく生きていこうと思っています」

 

1年3カ月の闘病生活では、生きることにこだわり続けた。

 

「がんの発覚は昨年6月4日です。前日、仕事から帰宅後、おなかが張って動くのがしんどくて。さらに、夜中に2回、血のにおいが混じる真っ黒な下痢をしたんです。これで悪性腫瘍だと悟りました。痛みがあれば、胃潰瘍の可能性もあるんですが、私にはなかった。翌朝、病院に行く前には、腹をくくっていましたね」

 

とはいえ、気は動転していた。妻のあかねさん(51)にどうやって伝えたのかは覚えていないという。必死で冷静さを保って大橋さんは、勤務先の病院を受診した。

 

「胃がんではなく、ジストという悪性腫瘍。ただ手術ができるという診断だったので、“完治する見込みはある”と希望が持てました」

 

なんとか手術にたどり着くため、体力もつけなければならない。

 

「固形物が食べられず、エレンタールという栄養剤を飲んでいたんです。でも、これがまずくて……。患者さんに処方したこともあったのに、これほどまでとは知らなくて、仕方なく洗面所に“飲んで”もらったこともあります」

 

そんなときありがたかったのが、あかねさんお手製のコンソメスープだったという。

 

「私が言うのも何なんですが、どこにでもあるような簡単なスープ。でも、これがおいしくてね。妻が毎日、持ってきてくれました。大学生の息子がふらっと顔を見せにきてくれるのも、すごくうれしかったですね」

 

命に関わる病気にかかって、それまで意識することもなかった家族との時間をいとおしく感じた。

 

「どんな形でも生きたいと思いました。緩和ケア医だから患者さんのためと言いたいけど、家族との時間を少しでも過ごしたいというのが、最大の目標でした」

 

あきらめが早い性格も結果的によかったという。

 

「いろいろ夢を持っていました。妻と東京五輪に行くこと、定年を迎えたら日本中を妻とドライブすること、でも、今の自分には無理です。現実と夢にギャップがありすぎるとつらい。だから、すっぱりあきらめました。体重が100キロを超えるほど、食べることが大好きでしたが、嫁さんのコンソメスープで十分だと考えたら、気持ちが楽になったんですね。あきらめる。そのうえで、生きることを頑張るという考え方に変えていきました」

 

30センチもおなかを切り、胃を全摘出する大手術を乗り越えた。

 

「念願の帰宅を果たして、1日5個は何かやると決めていましたが、実際にできたのは1個程度。それも新聞を読むという小さなものでしたが、十分、満足でした」

 

しかし、今年4月8日、厳しい現実が立ちはだかる。

 

「肝臓への転移が判明して。がん発覚のときよりも、ショックでした。これまでの抗がん剤が効いていないことの証明でしたし、自分の体のどこにがんがあってもおかしくないわけですから……」

 

1日旅行どころか、半日旅行も無理だが、“4分の1旅行”であかねさんとホタルを見に行くことができた。これはあかねさんにとっても貴重な思い出だ。

 

「予想していた生活とは違いますが、夫とこんな幸せな時間が持てるなんて思いもしませんでした」(あかねさん)

 

毎年、特別なことをしない9月12日の誕生日も、今年はシュークリームを家族で食べた。

 

「3カ月先の予定は組めませんが、目の前にある1日を、ありがたい気持ちで生きています。息子はしっかり妻のことを考えているし、家族に何も言い残すことはない。自分の思うままに生きていってほしいですね」(大橋さん)

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