「祖父は人選に長けていたといわれ、多くの会社を設立しても自分がそこに居座るということはなかった。『渋沢に頼めば悪いようにはしないだろう』と、常に協力者や賛同者に恵まれていたようです。対人関係での信頼がいかに大事であるか、『世の中に役立つためには何ができるか』を晩年まで考え続けた人だと思います」
そう話すのは渋沢栄一の孫でエッセイストとして活躍する鮫島純子さん(98)。鮫島さんは渋沢家の三男で実業家渋沢正雄氏の次女である。
渋沢栄一は、農家の息子として生まれ、後に明治の元勲に並ぶ仕事をやり遂げ、「資本主義の父」として称えられる。その一代記が描かれるNHK大河ドラマ『青天を衝け』は高視聴率を記録。’24年に刷新される一万円札の顔になることも決定している。
「私の祖母は、後妻の兼子。よいところ取りで、先妻の千代さんがとてもご苦労をされたようです」
鮫島さんは女子学習院を卒業後、20歳で岩倉具視の曽孫で海軍文官の鮫島員重氏と結婚。3男に恵まれた。員重氏を数年前に看取ったのちは一人暮らしをする。
今年はドラマの影響で「おじいさまの思い出を」というインタビュー依頼が多い。しかし、取材に応じるとピンと背筋の伸びた鮫島さんの驚異的な健やかさにますます注目が集まる。艶やかなヘアスタイルは白髪染めをしていない。
そこで今回は鮫島さんから、人生を穏やかに健やかに生き抜く秘訣をおしえていただくことに。
いまに至るきっかけは三男が幼稚園に入園した27歳のころにさかのぼると鮫島さんは言う。
「世間知らずな自分はこのままでよいのだろうか」
渋沢栄一の精神を受け継ぐ者として、鮫島さんは「人の役に立つ学びを深めよう」と思い、ヨガ行者の書物や仏教書を読んだり、キリスト教会に10年通うなどしたのち、ある考え方に共鳴した。
「肉体は期間限定であるが霊性は永遠であるということ。何回か肉体を得て、魂は学びながら浄化成長し神の国を作る。つまり、平和な世界を作る使命があるということを知ったのです。受け入れがたい災難は自分の成長のため、そして、地上で生きるために汚した分、それが消えていくプロセスなのだから、何があっても感謝を心がけよう。どんなときも『世界人類が平和でありますよう』と創造主の意志どおり祈る習慣が身につきました。するとよい気がみなぎり、細胞が元気によみがえるのです」
こうして60年かかって得た人生のしくみはいまや「鮫島流」。お嫁さんたちも影響を受け、講演会でも多くの人を励ましている。
鮫島さんの心身の健康の源は次の7つ。